2014年12月18日木曜日

一年のご挨拶

千葉でも寒い毎日が続いています。

なかなか凍ることのない池。
それでもいったん凍るとなかなか溶けることがありません。
今朝の寒さで、
とうとう池に氷が張りました。

こんなに寒いのに、
ただいま寺院では庫裏の廊下を増築中。

毎日のように朝7時半くらいから大工さんがおいでになりますので、
私たちも一緒に作業しています。
夕方の6時くらいまで。

・・・年内に終わるのかしら・・・( ;∀;)


今年もあと半月を切ってしまったのに、
まだまだやることが山積みです。

 

年賀状もまだ途中で、絵しか描いてない~(笑)


いつもばたばたしていて、
おっちょこちょいで、
とってもおまぬけな私のブログにおつきあいくださり、
この一年間、誠にありがとうございました。

少し早いのですが、
また来年もよろしくお付き合いのほど、
よろしくお願い申し上げます。








2014年11月25日火曜日

外出先で。

長い事ブログを更新しない間に、
いつしか境内の紅葉が見ごろを迎えておりました。

と言っても、
比較的温暖な千葉県内では「見事!」とまではいきませんが。(^_^;)


先週の木曜日に、私用で名古屋に行って参りました。

バスで東京駅まで出て、
それから新幹線に乗り換え。

たまの外出はとても嬉しいもの。
年に数回のことですから。

連休を控えていたこともあったからでしょうか、
新幹線は満席に近い状態。

「三人掛けの真ん中のお席しか空いていませんが・・・」
と、切符売り場のお姉さん。

行き当たりばったりですから、座れるならもうどこでも。(笑)

行きも帰りも、
ビジネスマンのお兄さんの間に挟まれていました。

都会に出ますと、
私はまるで「おのぼりさん」のように、いろんなことが新鮮に思えて。(笑)

新幹線では、
前の席の方が私に向かって、
「シート倒してもいいですか」

外国では飛行機などで無言でシートをたおすのが当たり前のようで、
倒される方は迷惑と考える人も多いようですね。
リクライニングを阻止するグッズなどがあり、
それがまた諍いの起こる原因になったりしているようです。

でも日本では「ひと声かけて」がほぼ習慣になっています。

声をかけられて「嫌です。ダメです」なんて言う人はまずいないでしょう。
・・・いう人もいるのかしら・・・(笑)

いい習慣だなぁと、つくづく思いました。


その日は少し早めに東京にもどり、
皇居にある東御苑に行きました。

東京に生まれ育ったわりには、
一度も皇居に足を運んだことがありませんでした。(^_^;)

乾門の解放は12月の初め。
その頃はきっと混んでしまうだろうから、
今のうちにと。

雨が結構降っていましたが、
来苑されている方が多くおられました。








大手門の方から入り、
二の丸はまた今度にして、
三の丸から本丸に向かって歩きました。


今はご覧の様に美しい庭園になっていますが、
大奥の跡地や松の廊下の跡地などの文字を見ると、
本や知識の中だけの歴史が、
肌や感覚を通して感じられるように思いました。

行ってよかった。(*^^*)


帰りのバスに乗る前に、
大丸百貨店に寄りました。

エレベーターに乗ると、
ボタンの近くにいる女性が階に止まるたびに「開閉」を
押してくれていました。
そして自分が降りる時は他の人たちが降りるのを見計らってから、
「閉」ボタンを押して降りる。

私自身も行う事ではありますが、
他の人がやっているのを見るとちょっと嬉しい。(*^^*)


今回のブログをご覧になった方で、
「そんなの当たり前じゃん」
という人もいるでしょう。

でも、する側は「当たり前」でも、
受ける側、される側は決して当たり前と思っていてはいけないのではないかと思います。

「シート倒してもいいですか」の声掛けには
笑顔で「どうぞ」と。

エレベーターでそんな人がいたら、
先に降りる時は軽い会釈を。

外に出れば知らない者同士。

だからこそ気持ちのよいひとときを過ごせるようにしたいものです。



















2014年10月10日金曜日

甘酒のお話


もうひとつ、
「いのちの四季」の中のお話を紹介したいと思います。


中川上人がまだ所化小僧さんの頃、
一人で檀家の年回法要に行かれたそうです。

その時にその家のお婆さんが「まだ小僧さんだから甘酒がよかろう」と思い、
丹精込めて甘酒を作って下さいました。

しかし中川少年は甘酒が大嫌いで、匂いがするだけで気分が悪くなってしまうのです。

まだ自分の気持ちをオブラートに包んで表現する事もできない幼い頃のこと、
そのまま「甘酒は匂いを嗅いだだけでも気持ち悪くなってしまうのです」とお婆さんにそっけなく伝えると、お婆さんはなんとも悲しいお顔をされたのです。

中川上人は自責の念にかられ、
挨拶もそこそこに逃げるようにしてお寺まで戻ったそうです。

それからというもの、どうしてもそのお婆さんの悲しげな顔が忘れられず、
「これからさきも、こうしたことはいつどこで、また起きないも限らない。
そのつど、今日のような結果を招いたらどうしようか。
食べ物に好き嫌いがあるのはわがままだからだ。
まして私は坊さんだ。僧侶に飲食物の好き嫌いがあってはならない。
よし、ひとつ甘酒を飲む稽古をしよう」

と、甘酒を飲む練習を始められたのです。

その修行は十数年間続きました。

大学(東京帝国大学・現東京大学)を終えてお寺に戻った中川上人はお婆さんの家に行き「お婆さんにお願いがあります。甘酒をご馳走して下さいませんか」と言いました。

もう十数年も前の事です。お婆さんはすっかりその事を忘れていて怪訝そうな様子でしたが、中川上人が一部始終を語り、その時の心無い振る舞いをお詫びすると、お婆さんは両目に涙を浮かべながら心から喜んで甘酒をご馳走して下さったそうです。


このお話の中川上人の小僧さんの時の年齢を考えた時、
十歳前後だったはずです。

幼くとも「僧侶」としての自覚と純粋さが確立されていたことを思うと
私は自分自身が恥ずかしくなりました。



高僧と比べるほうが間違っているのかもしれませんが。(笑)








最後の言葉


空一面を覆う雲の向こうに、
お月様がうすぼんやりと光っています。
 
明日はなんとかお天気になりそうですが、
またもや台風が控えている模様。
日曜日と月曜日は来客があるのですが、
台風対策もしないといけません。
明日からはまたせわしなくなりそうです。
 
 
私の師匠はいつも「坊主なんてろくなもんじゃない」と言っています。
私などもその一人ですが。(笑)
しかし昔は「高僧」と呼ばれる立派なお坊さんが存在していました。
 
そのおひとりに「中川日史上人(1886~1976年)」という方がおられました。
この方は幾冊か本を出していらっしゃいます。
その中で「いのちの四季(筑摩書房)」という本があり、
私のお気に入りの本の一つです。
 
その中の「最後の言葉」というお話をご紹介いたしましょう。
 
岡山中学2年生の時のこと。
寮生活をしていたある日の早朝「ハハキトク」の電報が届きました。電車に乗り、転がるようにして病院までたどりつきました。家族に様子を聞くと「急にバタッと倒れ、いろいろと手を尽くしたが高いびきをかいてこんこんと眠り続けている。医者は『脳溢血です。もう持ちますまい』と。しかし不思議とまだ持っているところをみると、あなたの帰りを待っているのでしょう。早く会ってあげて下さい」と病室にみちびかれました。中川少年は涙で出ない声をしぼりだすように「お母さん!お母さん!」と二度呼びました。するといびきがぱたっと止み、今まで何をしても反応のなかった母親が突然両目を開いたのです。中川少年は「お母さん。ご気分はどうです?」と尋ねたところ、母親は「あなたはどうですか」と聞かれたそうです。「私は・・・」といいいかけた時、またも母親は高いびきをかいて寝てしまい、ついにそのまま亡くなってしまいました。

「あなたはどうですか」との母親の最後の言葉がどうしても分からず、家族でいろいろと想像していたそうです。そして葬儀から数日後、その意味がようやく解けました。
中川少年の友人が倒れる数日前の母親と会話をしていました。
「息子は元気でやっていますか」との問いに「先日、風邪を引いたようだと言っていましたが、もう治って元気だと思います」と友人は答えたそうです。中川少年はこのことを聞き、「母のあの言葉は、この友人から聞いた私の風邪の事が強く心に残っていたので、目を開けて私だと気づいた時に『あなたはどうですか』という言葉となって出たに相違ない。人の子の母は、死んでゆくまぎわでさえも、わが身を忘れて愛し子のことがこれほどまでに気になるものか」と、母の慈愛のありがたさに涙が止まらなかったそうです。そして「亡くなった母の肉体は消え失せても母の慈愛の心は実在して、いつまでも私の上に注がれているに違いない。私の言行が正しいなら母の心はよろこび、よこしまだと嘆くであろう」と思ったと書かれてありました。

もし自分が中川少年の立場だったらと思うとき、母親の「あなたはどうですか」との言葉を深く考えず、それ以上の事を追究せずにいたかもしれません。
母親の死に泣き悲しんでも、母の慈愛に感涙するまでには至らなかったかもしれません。

一つ一つを深い心で受け止めていかなければ、何一つ自分のものにする事ができないということをこのお話から教えて頂いた気が致します。
 

2014年10月5日日曜日

銀杏ご飯

台風が接近しています。(>_<)

こちらは朝からずっと雨模様で、
時折、強く降っています。
台風は明日の日中に関東を直撃するようですが、
もうその影響を受けています。

大型の台風なので、
どうぞみなさんもお気を付けてお過ごし下さい。


午前中、こんな雨の中を、
檀家さんたちがお堂のお掃除に来て下さいました。

一緒にわいわいがやがやと、
たわいないお話をしながらみんなで過ごすのはとても楽しいものです。

あっという間に四か所ものお堂掃除が終わり、
そしてお昼ご飯の時間。

住職夫人がみんなに塩ラーメンをふるまって下さいました。

そして檀家さんが持ってきて下さったお漬物などもテーブルに並びました。

その中に銀杏ご飯も。

実はゆうべの法話会のあと、
一人のご婦人が、
「銀杏が今いっぱい落ちているの。銀杏ご飯にしたら美味しかった」とお話していました。

私は木の実類も大好きですので、
「うわぁ。それいいですね」とつい嬉しそうにしましたら、
今日、その銀杏ご飯を持ってきて下さったのです。

そのお心遣いがとっても嬉しく思いました。


生みの母とは幼い頃に生き別れになりましたが、
私の身近には「お母さん」がたくさんいます。

ほんのちょっとした事でも、
ことに檀家の「お母さん」方のお気づかいがとてもありがたく嬉しいのです。

もし、自分の母親と生き別れにならなかったら、
人からのご厚意をこんなにもありがたく思えなかったかもしれません。



銀杏ご飯は、
「お母さんの味」でした。(*^-^*)









2014年10月2日木曜日

秋便り

今はしとしとと、小雨が降っています。
こんな優しい雨なら、いつでもお願いしたいものです。


秋がだいぶ深まって参りました。

先日、ちいさな落し物を発見。

どなたのお帽子でしょうか。(笑)

また、
今年の金木犀の開花が早かったこと。

空気が少しずつ透明になると、
金木犀の香りの帯までが見えるような気がします。


秋の便りがあちらこちらから届くと、
寒い冬に向かっている証拠。

どうぞ皆さま、
体調にお気をつけになり、
お風邪など召されませんように。



2014年9月7日日曜日

誤解

当寺院には犬が3頭います。

黒柴が2頭とシェパードが1頭。

犬の世話は私のお仕事。
生後二か月くらいからずっと面倒をみます。

ようは「母犬」代わり。(笑)

でもどの子もみんな可愛いです。(*^^*)


昨夜は法話会のあと、
居心地がよいのかみなさんなかなか腰をおあげにならず、
全員が御帰りになったのが零時すぎでした。(^_^;)

そのあと門を閉めて、犬たちを放します。
外には出られないようにしてあるので大丈夫。
うちのセキュリティです。(笑)

昨夜はほんの思いつきで、
シェパードと境内の夜のお散歩をしました。

境内をひと回り。

桜の木の下を歩いた時に、
枯れた枝が引っかかっているのが見えました。

背の大きくない私にでも取れる位置。

ひょいとその枝を取ってわきによけようとしたその時、

「痛っ!」

右手の人差し指に針で突かれたような痛みが走りました。

枝を見ると、折れ口にぽっかりと穴が開いています。

暗くてどんな虫かはわかりませんでしたが、
とりあえず枝はうっちゃっておいて、
あわてて庫裏に戻りました。

まだお寺の人達は起きていましたので、
説明をすると、
「早く消毒消毒」
と、虫刺されの薬を塗ってくれました。

刺された傷は一か所でしたので、
咬まれたものではなく、
蜂みたいな虫に刺されたのだろうと。

しばらくジンジンとしていましたが、
そのまま部屋に行き寝ちゃいました。(^_^;)


翌日。
少し赤みはあるものの、思いのほか腫れずにすんでいたのでよかったのですが、

どうにも刺した虫が気になり、
枝を見にいきました。

石にぽんぽんと枝をうちつけたところ、
中でブーブーと羽音がします。(・・;)

「やっぱり蜂なのかな・・・」

ビニール袋に枝を入れ、
数度振ってみますと、
大きな虫が出てきました。


げげっ(◎_◎;)
クマンバチでした。(※ネットからお借りした画像)

本当は「クマバチ」というそうですが、
私はずっと「クマンバチ」と言ってきました。

そしてずっと「危険な蜂」だと認識していたので、
こんな蜂に刺されてしまったのか、とかなりびっくり。


部屋に戻り、
スマホで調べてみたところ、
驚いたことに、比較的温厚な蜂なのだそうです。

見た目がずんぐりむっくりしているし、
大きな羽音は~なんだか怖かった。

それが「温厚な蜂」とは。

さらにオスは針を持っていないそうです。

メスは枯れ木などに穴を開け、
そこに卵を産んで、
子供の食べる物として花粉をせっせと運ぶのだそうです。

私はクマンバチの巣をいじってしまったのですね。

メスは必死に巣を守ろうとした。

刺されても致し方ありません。(^_^;)


枝は元の位置には戻せなかったので、
ちょっと場所を変えて置いてきました。


今までクマンバチを誤解していた私。

来春からは、
クマンバチをもう少し温かな目で見てあげることができそうです。(*^^*)










2014年9月1日月曜日

サウナとまき割り

今日から9月。

いつもなら厳しい残暑のまま迎えていましたが、
今年は半袖では肌寒いほどの陽気。

この涼しさはとてもありがたく、
ようやく手足のほてりなく、ぐっすり眠れる夜が続いています。
でも体調を崩しやすい気候でもあります。

どうぞみなさまも風邪などひかれませんように。


私の日課のひとつにお風呂の焚きつけがあります。

それもサウナ付き。
いや、
お風呂付きのサウナというべきでしょうか。(笑)

毎日数本の薪を割ります。

それから二つの釜(サウナ用とお湯用)に入れて焚きます。


始めここは大きな農家の造りでしたので、
お風呂は小さな浴室で、それも五右衛門風呂。

大人数の時にいっぺん入れないので、
なんとかしないと、ということで「サウナ」を造る事にしたのです。

 
私の師匠は大のサウナ好きでもありました。

といっても、
体質改善によいという事を聞いて、
東京にいる頃にだいぶサウナ通いをされていたのです。

師匠は風邪を引くと、必ず扁桃腺がひどく腫れ、
いつも40度近くの高熱を出してしまうのです。

サウナに通われるようになって、
ほとんどそういう症状が無くなりました。



サウナにまつわる、こんなお話があります。

ずいぶん前になりますが、
師匠がいつもとは違うサウナのお店に行った時のことです。

比較的日中のほうが時間が空いているので、
その日も同じようにお日様の高い時間に行かれました。

高い温度がお好きなので、いつも一番上に座ります。
その日も一番上に座わろうと思ったところ、
その場所に一人のおじさんが横になっていました。

肩にバスタオルをかけて横になっているおじさんに、

「くつろいでいらっしゃるところ大変申し訳ないのですが、
もう少しそちらにずれて頂くと私が座れるのですが」

と声をかけたそうです。

すると「ああ、それはすみませんね」
と、そのおじさんは身体を起こしました。

その時におじさんの身体に倶利伽羅紋々が入っているのが見えたそうです。

下の段には、
同じく紋々の入った若いお兄さんがいて、師匠をにらみつけています。

(ああ、やくざか・・・)と思っていた時におじさんが師匠に話しかけました。

「お兄さん。見かけない顔だけど、どこの組の人?」

綺麗に剃ってある頭でしたし、
若い頃から合気道などの武道をやっていたせいか鋭い目を持つ師匠です。

裸でしたし~同業者だと思われたのですね。(笑)


豪胆な師匠は、
相手がやくざの親分でも幽霊でもまったく物怖じしません。

師匠は「そうですね~・・・」と少し考え、

「強いていえば『日蓮一家』ですね」と答えました。

おじさんはちょっと間を置いてから、
げらげら笑い出し、

「なんだ、坊さんだったのか」



お寺にサウナを作ってから、
みんな風邪をあまり引かなくなりました。

加えて私の場合、
疲れてくると体中に湿疹ができ、
治るとまた出てくるという繰り返しでしたが、
サウナのおかげで今ではまったく湿疹に悩まされることはなくなりました。

毎日のみんなの元気のために、
また明日もまき割りに励みましょ♪

















2014年8月24日日曜日

もったいないと思えない時代

昨日の夜あたりから、
少しずつ涼しくなってきた気が致します。

今夜も冷房つけずとも眠れそうです。
日中はまだまだ暑いですけれどもね。

 
 
 
夏期講習会が終わってもしばらく来客続きで、
今やっと落ちつきホッとしているところです。
 
 
でもやはり、
いろいろな世代の方々とお話するのはとても楽しいものです。
 
 
年齢の近い人達とは「昔話」に花が咲きます。(笑)
 
 
小学校の給食では「鯨の竜田揚げ」がよく出た事や、
 
コッペパンを油で揚げたものには「黄な粉がついていた」「いや、砂糖しかついてなかった」とか。(笑)
 
 
私の家には「家風呂」はなく、
一日おきに銭湯に行っていました。
毎日お風呂に入るようになるなんて、
当時は考えもしませんでした。
 
まして「家でお風呂が入れる」ようになるなんて。(笑)
 
 
洋服を買ってもらえるのは夏と年末の二回くらい。
当時洋服は高いものでしたから、
古くなった服は、必ずボタンやファスナーを綺麗にとってからウエスとして使っていました。
 
そのボタンたちは、他の洋服でとれて無くなってしまったボタンの代わりに、
ずいぶん活躍したものです。(笑)
 
 
今は食べる物も着る物もあまりにも安くて豊富になり、
「物を大切にする心」がどこかへ去ってしまったように思います。
 
新聞の広告紙の裏や、
前月分のカレンダーの裏を使ってお絵かきしたけれど、
今ではお風呂の焚きつけにさえしません。
 
「もったいないなぁ」といいながらも、
コピーしすぎた紙を屑籠に入れている自分がいます。
きっと、
心から「もったいない」と思えていないせいなのでしょう。
 
 
「物のなかった時代がよかったなぁ」と思っている私はへんでしょうか。(^▽^;)
 
 
 


2014年8月11日月曜日

ペルリを呼んでこいっ

いすわっていた台風11号も、
ようやく日本から離れてくれました。

各地で被害がありましたが、
みなさんのところは大丈夫だったでしょうか。

台風一過のあとは猛暑が続きそうですね。
どうぞ体調に気を付けてお過ごし下さい。


今週はお盆休みになる方々も多いことと思います。
当寺院ではこの時季になりますと、
数日間かけて夏期講習会なるものが開催されます。

法話が中心となりますが、
そんなに堅苦しい形のものでもなく、
日本の歴史に触れるために見学会の時間がとってあったりもしています。

今までは、大原幽学が住んでいた場所や伊藤佐千夫の生家、
千葉市の加曾利貝塚、芝山の埴輪博物館などいろいろ。

今回は佐倉にある歴史博物館の予定です。


私の法話の時間は2時間ほど。

その中で何を話そうかと毎年のように悩みます。

今回は幕末から日清日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の流れを説明して、何故大東亜戦争に入らざるを得なかったのかという事をお話したいと思いました。


満洲国を造った石原莞爾という有名な方がいます。

とても変わった人物で、
沢山の逸話を持っていらっしゃいます。

連隊長時代に「特命検閲」というものが行われたそうです。
軍隊の教育訓練などの状態を検閲するもので、
最も重大な行事であるといわれます。

その時2日間にわたり検閲を受けたそうですが、
演習の最終日、師団参謀が石原連隊長に状況を検閲使にも聞こえるように大声で伝えます。

「高地からの射撃が猛烈で、当連隊の前進は極めて困難であります」

すると石原連隊長は、
「よし、わかった」と答えると、全連隊将兵に対し大声で命令しました。

「連隊は全滅!連隊長も戦死!皆寝ろ!」

というなり真っ先にばったりと仰向けになり、
全連隊を休憩にうつらせたそうです。


こんなひょうきんな方だったそうです。


敗戦後東京裁判が行われた頃、
石原莞爾は膀胱がんで療養中でした。
逓信病院に入院中には、
連日各国の検事や将校が訪れて、
石原莞爾にいろいろ訊問をしたそうです。

アメリカの検事に「この戦争はどこまでさかのぼるか」と石原莞爾は聴きました。

すると「日本が大陸進行し始めたのは日清日露戦争の頃だから、そこまでさかのぼる」と答えると、

「そうか。ならばペルリを呼んでこいっ」と石原莞爾は言います。

「日本は鎖国していたのに貴国からペルリがやってきて大砲で脅して鎖国を解いたではないか。そのせいで日本は世界から自国を守るために進出を計らなければならなくなった。鎖国していたら台湾も満洲も不要であった。あの世からペルリを呼んでこいっ」


このお話を知り、
歴史をさかのぼらなければ、みんなに大東亜戦争を理解させる事はできないと思いました。


勉強不足と、2時間で足りるかしらという不安を抱えつつ、
頑張ってみます。




2014年7月29日火曜日

枝豆、好きなんですか?

ここのところ、
夕方になると蚊取り線香を点けます。
蚊取り線香の香りに、
「夏なんだなぁ」としみじみ感じられます。

ブタさんの入れ物は~なんと風情のあるものでしょうか。(笑)


夏と言えば「ビール」。
そのビールのおつまみと言えば「枝豆」を連想いたします。

先日、
檀家さんが数人集まっていたとき、
農家のおばあさまから枝豆をたくさん頂戴いたしました。

枝のままでしたがちゃんと葉っぱがとってあり、
お豆をとりやすくしてくれてあったことに感謝。

住職の奥様は、
「木蘭さん♪また枝豆がたくさん来ましたね~」と意味深な発言。

実はそれは私のお仕事。(笑)

住職夫人のその口調から、
何も知らない方々にも「あとで枝豆とりしてくださいよ」という意味が分かり、
みな一様に笑いだしていました。

そこに大学二年生の女の子がいました。
お勝手仕事を手伝いながら私と住職夫人との話を聞いていましたが、

ちらと私を見ながら、
「枝豆、好きなんですか?」と聞いてきました。

「枝豆おいしいわよね」と慌てて答えたところ、

ニコッと笑いながら、
「食べ始めると止まりません」


私たちは年齢を重ねるごとに、
いつしか純粋だった心をどこかに忘れてしまうものなのだなぁと、
この娘を見てつくづく思いました。

いつしか人の言葉の裏側を考えるようになり、
それが当たり前の生活になっている・・・。


彼女の純粋な質問にとまどってしまった自分が、
なんだか恥ずかしくなりました。

できるなら彼女には、
今のままの心とそのくったくのない笑顔をたもち続けてほしいと、
せつに願っています。












2014年7月21日月曜日

人は弱い動物

 
夕べ、突然の来訪客が。
毎年夏になるとやってきます。
 
 

立派な鋏をもったクワガタくん。
明るいところに連れてこられて、
私の指にしがみついて困っていました。(笑)
もちろんすぐにお帰り願いましたが。(^^)

 
 
先日、手に怪我をしました。
犬小屋の針金にちょっとひっかけただけで3センチくらいの傷になり血が滴り落ちました

軍手でもしていたらこうした怪我も防げたかもしれませんが、
人の身体はなんて弱いものなのだろうとつくづく思いました。

 
人類はその歴史の中で必要と思われるものを次々と作っていきました。

「人間は頭がいいから」と言われますが、
しかし裏を返せば「人間は弱い動物。だから道具や洋服が必要になった」と思うのは私だけでしょうか。

人間が裸で暮らし、道具を持たないでいたとして、
そこに一匹のスズメバチがやってきた時、
刺されるのを防ぐためにはその場から逃げるしか方法がありません。
毒針を持った毛虫でも同じように、
服も道具も持たない人間はたった5㎝ほどの虫になすすべもないのです。
 
人は弱いからこそお互いに支えあい、
寄り添いあって暮らしていくものなのではないでしょうか。
 
現代はそんな大切なことさえ忘れているように思います。
 
自分一人では生きていくことはできない。
食べ物も洋服も、
作ってくれる人がなければ手にいれることはできません。
たくさんの人たちがつながりがあって、
私たちは生きることができるのです。
 
それを「一切衆生の恩」といいます。
仏教で説かれる「ことに感謝すべき四恩」の中の一つです。
父母の恩、国の恩、三宝の恩、そして一切衆生の恩。
 
いろいろなことに感謝しあって生きることこそ、
「人間らしい」生活のあり方なのだと、
私は思います。
 
 

 

2014年7月15日火曜日

お盆

控え目だった蝉が、
いつしかやかましいほど鳴くようになって参りました。

「七年も土の中にいたんだもの。
一週間くらいがまんしなさいよ」

そんな蝉の声も聞こえてきそうなので、
皆さんも一緒に我慢いたしましょ。(笑)


今日は盂蘭盆の法要がありました。
八月のところが多いのですが、
私どもの寺院では七月に行います。

キュウリの馬とナスの牛。(※住職夫人作)

早馬に乗ってきて、
ウシでゆっくり帰ってもらう。

精霊に対する切ないまでの深い思いが感じられます。

でもうちの場合、
「みんなせっかちだったから、馬だけでいいんじゃない?」
「そーだね~。ならバイク、いや。ポルシェかなんかのミニカーおいとこうか」

ですって。(笑)


お盆の由来はお釈迦様ご在世当時にさかのぼります。

十大弟子のおひとり、
神通第一と称された目連尊者がある日、
亡くなったお母様はいったいどこにおられるのだろうと
通力を使って探しました。

するとあろうことか餓鬼界に堕ちてしまっていたのです。

がりがりにやせ細り、手足はまるで針のよう。
お腹だけぷっくりと膨らんでいます。

お母様は「青提女」(しょうだいにょ)と言います。

青提女は自分を見る目連尊者を見つけ、
手を差しべて必死に食べ物を乞うのです。
目連尊者はすぐに通力をもって母のもとに食べ物を差し出しました。

青提女はすぐさまその食べ物を口の中に入れ込みました。

するとどうしたことでしょう。
食べ物はたちまちのうちに火になり、
青提女の体を燃やしはじめてしまったのです。

目連尊者はあわてて通力で水をかけましたが、
それが薪をくべてしまったようにますます火が盛んになってしまったのです。


自分の力では及ばないことを知った目連尊者はお釈迦様のもとに走り、
どうしたらよいのでしょうかと泣きながら相談致しました。

お釈迦様は、
「お前の母親は生前、物がありながら物惜しみをして人に施さなかった。
その『慳貪罪(けんどんざい)』により餓鬼界に堕ちてしまったのだ。
夏安居(げあんご・個々に活動していた僧侶たちが、雨期の一定期間、一カ所に集まって集団で修行する)が終わり、戻ってきた僧たちに多くの供物を捧げて供養すれば、餓鬼界の苦しみから逃れることができるであろう」
と仰せになりました。

目連尊者はお釈迦様の言うとおりに行ったことで、
母親を餓鬼界の苦しみから助けることができました、というお話です。



明日の夕方は送り火を焚いて精霊をお送り致します。

やっぱりナスの牛さんで帰って頂きたいな。

また来年、
早馬で帰ってきて下さいね。














2014年7月11日金曜日

歌の力

覚悟していた台風も、
こちらに回ってくる頃にはおとなしくなっていた様子。

千葉では被害はなかったようですが、
各地で大きな爪跡を残してしまいました。

被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
一日でも早く復興されますようにとお祈り申し上げております。


たいそう蒸し暑い一日でした。
ここのところ微熱(といっても6度8分くらいです)が続き、
気温の高さも相俟ってなんだか体がだるくていけません。

なんとか一日を過ごし、ようやくお風呂タイム。

うちのお風呂は少し大きめにできています。
ふだんは少人数なので、
ひとりゆるりと至福の時間を過ごします。

ひとりぼーっとして(いつものことですが)、
今日ふと頭をよぎったのが大好きなさだまさしさんの歌詞でした。

片思いの人に好きな人がいることが何気ないしぐさでわかった一人の女性。

「風はいま向かい風。私の心を押し戻す」

「もしもあなたが赤い夕陽で、私が雲なら染まるだけでいい。 そんな恋もあることわかった」(ここの詩がとても好きです)

「幸せのかたちくらい私に決めさせて」


「向かい風」という歌なのですが、
なにゆえこの歌詞が頭をよぎったのか自分でもよくわかりません。(笑)

でも何かほんのりとした温かな心持になりました。
さださんの歌詞には人の心を動かす力があると思います。

私も人の心に、
ほんの少しでも残るものを書いてみたいな・・・。

なかなか難しいものだとはわかっていますので、
とりあえず自分の能力に見合った形にしておきます。(笑)




さださんの歌は音域の幅がありすぎて、自分が歌うにはとても難しい。
名曲が、名曲でなくなってしまうので(笑)

今夜は久しぶりにさださんを聞こうかしら。














2014年7月8日火曜日

嵐の前の静かな日

沖縄では大変な暴風雨となっているというのに、
こちら千葉県北東部は穏やかな晴天でした。

夕方は堂内の窓を開け、
風を入れながらお勤めをしました。

時折、ウグイスや雀のさえずり、
木々のざわめきなどが聞こえます。

自然の音の中で読経をしていると、
自分までが融和され、その中に溶け込んでいってしまいそう・・・。

臨終は読経の中、
もしくは自然の音の中で迎えられたらいいなぁ・・・

なんて思っていたら~お勤めが終わってしまいました。(笑)


穏やかなお天気も明日まで。

台風はこちらにも向かってくるようです。

明日は周りの片づけをしないといけません。

合羽と長靴も用意して~何かあれば台風の中でも外に出られるように。

みなさまもどうぞお気を付けになってお過ごしくださいね。






2014年6月21日土曜日

日本人の心のふるさと

おととい一人で伊勢に行って参りました。

初めての一人旅は、初めてのお伊勢。(笑)

事前に駅近くのビジネスホテルに宿をとり、
当日はちょうどお昼に到着。

荷物を宿に預かって頂き、
まずは外宮へと向かいました。

午後はもう人がたくさん。
平日にもかかわらず参拝客の多いことに、
なんだか嬉しく思いました。(*^^*)
 
はやる心をおさえながら、無事に外宮参拝を終えました。

 
 

外宮の神馬さんです。
触りたかったな。
 
 
 
 
 
 
さて次は内宮へ。
 
最初はレンタサイクルにしようかと思いましたが、
途中で疲れてしまったらどうにも身動きがとれないかなと思い、
バスで内宮まで。
 
 
 

 
宇治橋を渡り、

 
皇大神宮正宮です。
ここに天照大神が祀られています。 
 
 
宇治橋を渡り(帰り)、
おはらい横丁、おかげ横丁へ。
 
 
ローソンもご覧通り。(笑)
 
 
大きな招き猫。
 
 
一通り横丁を見たあと、ホテルに。
バスにしようかタクシーにしようか迷った挙句、
 
年甲斐もなく徒歩で帰る事に。(笑)
 
天皇陛下を始め皇族の方々がお通りになるという「御幸道路」をてくてく歩きました。
 
途中には皇學館大學とか、倭姫の宮とか月読の宮とかいろいろあって、
5キロ以上ある道は結構きついものでしたが、
楽しみながらマイペースで歩きました。
 

 
ここは日蓮聖人が比叡山を下られた後、
内宮に誓願をされるために宿泊された場所と言われています。
 
我、日本の柱とならん
我、日本の眼目とならん
我、日本の大船とならん
この三つを日蓮聖人の三大誓願と言いますが、
この誓願を天照大御神にたてられたと言われています。
 

 
宇治山田駅。
日本の要人は必ずこの駅で乗り降りされるそうです。

 
これは昨日の早朝に内宮にお参りした時の宇治橋から撮ったものです。

 
前日と打って変わってほとんど人影がありません。

 
先客。

 
正宮の脇になります。
逆光もありますが、
少し不思議な写真だと思いました。
 
 
この旅を終え、思ったことは、
やはり伊勢神宮は日本人の心のふるさとなんだなぁと。
 
自然とすべてが一体化している伊勢神宮。
人も建物も木々も風も。
 
そして、
 
ここに参拝にこられる人の心も・・・。
 
 
 
 
 
 


2014年6月12日木曜日

怒りと悲しみと


暑いのか、肌寒いのか。

よく分からないような気候が続いています。

長袖を着て腕まくりをしている自分の姿が何やら可笑しくて。

気候のせいなのか、
はたまた更年期のせいなのか。

頭を悩ませる季節です。(笑)



新聞やテレビのニュースを観ていると、
時を置かずに幼い子供に対する猟奇的な事件や虐待などが発生し、
心が塞がれるような思いをしています。

父や母を頼りとし、
人を疑いもしないような純真な幼子を殺す大人たちの気がしれません。

ある事件ではご飯も与えられず立つこともできないほど衰弱しきった五歳の子供が、
か細い声で「パパ、パパ」と助けを呼んでいたにもかかわらず、
それが怖くなって部屋から出て、
そのまま放置して子供を死なせたという父親もいました。

「なんてひどい父親なのか」

もう自分が僧侶であることすら忘れてしまうほどの怒りが涌いてきました。

そして同時に、
最後の力を振り絞って精一杯父親に助けを呼んだのに、
実父に見放されてしまった子供の深い悲しみを思うと、
あふれ出る涙を止める事ができませんでした。

きっと亡くなった今でも霊魂はそこに留まり、
「パパ、パパ」と泣きながら父親を呼び続けているのではないでしょうか。


子供にとれば、
どんな極悪でも非情でも親は親。

まして幼子です。

手を差し伸べれば抱きしめてくれるはずと信じて疑わなかったことでしょう。



幼子にとって一番むごいしうちは、

親が背を向ける瞬間ではないでしょうか・・・。



私が抱きしめてあげるから、
早く仏様のもとに行ってね・・・。

そして来世は、
今生で悪を積まなかった分、
うんと幸せになってほしい・・・。



合掌・・・。