2014年3月21日金曜日

春のお彼岸

今日は一日、とても強い風が吹きっぱなしでした。(>_<)

おまけに寒いです。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、
この頃はそれもあまり当たらなくなっています。(T_T)

春一番が吹いたあとは、また寒の戻りがあると。

東北や北海道では、またもや大雪になってしまいましたね。

関東に住む私達でさえ「春」が待ち遠しいのですもの。
北の方々はもっともっと待ち遠しいことでしょう。

フキノトウも出てきました。
ウグイスも上手に鳴けるようになってきました。
スギ花粉も元気に飛び回っていますから~あと少しの我慢です。(笑)



今日は春のお彼岸の中日。

朝から信者さんたちが集まってきました。

うちではお彼岸もお盆も、
お堂にお塔婆を並べ、
檀家さんや信者さんたちがお寺に足を運んでくるのです。

お坊さんは出かけません。



午前中にみんなで読経。

ご先祖様や近しい方々へ真心を込めて・・・。



そしてお昼ご飯。

うちはラーメンが得意です。(笑)

大きな寸胴に出汁昆布、豚がら、牛筋、にんにく、しょうが、ニンジン、イワシ節などで作ったスープ。
チャーシューを作る時に使ったお醤油。

麺は、北海道の麺屋さんからいつも送ってもらっています。


そして信者さんから牡丹餅の差し入れ~\(^o^)/




今日は思いのほか人数が少なく、
二十人足らず。
それでも人が多いのは~それだけで楽しいです。(*^^*)

明日、明後日と、
今日来られなかった方々が来院されます。


「お寺はなんだか陰気くさくて・・・」

そんなふうに思っている方も多いと思います。

実際陰気くさいお寺って多いですもの。


でもうちは「明るい」らしい。(笑)

師匠自体が「陰気くさい」のがお嫌い。

苦しい修行だって「いいか。楽習苦行といって、苦しい事だって楽しい気持ちで習うもんだ」とおっしゃいます。


苦しくったって~悲しくったって~

前を向いて明るく元気に進む事。


暗い顔をしていたら周りだって暗くなる。

師匠はそれが嫌なのです。

いくらなんでもお葬式は別ですが(笑)
でも、
普段くらい明るい気持ちでいる事が大切なのですよね。


亡き人たちにも、
「明るく元気に過ごしている」ことが伝わるのは、

絶対に嬉しいことに違いないから・・・。








2014年3月11日火曜日

三年前の今日


今日は三年前と同じ場所で、
私は壁のペンキ塗りをしました。

あの日を思い出しながら・・・。


お天気のよい日でした。

母屋の裏の壁を建築中でしたので、
檀家さんも数人お手伝いに来て下さり、
みんなで談笑しながら鉄筋組みをしたり型枠をとりつけたり。

「もう少ししたらお茶にしようか」

そんなことを話していた時、誰かが、

「あ。地震だ」

ゆ~らゆ~らと長い横揺れが続きます。

千葉県北東部は地震の多い地域です。
少しくらいの地震は当たり前のように感じていましたが、
今回ばかりはなんだか様子が変です。
今までにないような長い横揺れ。

そのうち揺れが大きくなり、
「ギシッ!ギシギシッ!!」と母屋の大きくきしむ音が聞こえました。

私は生まれて初めて、家が倒壊するかもしれないという恐怖を感じました。

山の木々が大きく揺れ、
山全体がまるで大きな生き物のように思えました。

私は走り出して母屋の正面に来ました。

テレビで情報を得たかったことと、
こんな時でしたが、
小屋を開け放して自由に庭で遊べるようにしていた、
生後ひと月になったばかりの黒柴の赤ちゃんが気にかかったのです。

「あっ!」

私の目に飛び込んできたのは、
大きな灯篭がぐらっと揺れながら崩れるようにして倒れる瞬間でした。

母屋に入るとすでに停電。
テレビは前のめりに倒れていました。


そのあと草むらで震えていた子犬を母犬のところに寄せ、
あとはお堂の点検。

最初の地震ではほとんど落ちたり倒れたりしているものはありませんでしたが、
数十分後の余震のほうが大きかったようで、
香炉や燭台が倒れてしまいました。


携帯もしばらくすると使用不能となり、
まったく情報が得られなくなりました。

檀家さんのお宅でもガラスや食器などが割れて、
足の踏み場もなく、
寺院に逃げてこられた方が数名。

もう10年以上も前に、師匠から、
「何かあった時、電気が使えない時があるから、湯たんぽや電気を使わなくていい石油ストーブを買っておきなさい」と言われ、石油ストーブを三台。湯たんぽを15個くらい買ってありました。
湯たんぽにお湯を入れ(ガスはプロパンですので使用できました)、
近所のお年寄りに少しですが持っていきました。
 

居間にある二台のコタツの中に湯たんぽを入れ、
みんなで雑魚寝。

それでもひっきりなしの揺れと、
携帯のエリアメールの警報音でほとんどル事はできませんでした。


水道も電気も止まり、
ガソリンを買いにいけば長蛇の列。

ほとんどのお店は閉店状態。


しかし東北の方々の寒さひもじさ、そして辛さを思えば、
私達はまだまだ大変なうちに入らない。

でも、今までの生活が戻るまで、
「こんなにも不便なものなのか」とつくづく思いました。



当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなった時、
私達は「とても大切なもの」に気づかされます。

しかし日が経つにつれ、それは脳裏の片隅に置いてしまい、
また「当たり前」のような生活を始めてしまうのです。




三年前もこんな青空だったなぁ・・・。


















2014年3月2日日曜日


「あ、いたたた・・・」

時折、指が痛みます。

指の第一関節が腫れる「へバーデン結節」という病気です。

原因はよくわからず、、
40代以降の婦人に多く、
治療方法もないみたいです。(>_<)

お医者さん曰く。
「痛みがある間は病気が進行しているんだ。
あまり手を使う仕事は控えたほうがいい」

そうはおっしゃいますが~手を使わない仕事なんてできっこありません。(^_^;)

また曰く。
「それと、腫れている指をぶつけないようにね」

そうはおっしゃいますが~痛いところに限ってぶつけるモンです。(ノД`)・゜・。(笑)


というわけで、
たいそう不格好な手になってしまいました。


以前、うちの寺院に間借りしていた看護師の卵ちゃんがこんな事を言っていました。

「今日学校でへバーデン結節についてやりました。
先生が『これは働き者の手なのよ』とおっしゃっていましたよ」と。

確かに、すでに半世紀以上にわたって働いてくれていますものね、手は。
(※体本体はともかく(笑))


また私の手は、なぜか父の手にそっくり。
ずいぶん前に叔母と会った時、私の手をしみじみと見て、
「お父さんの手とそっくりね。うちの家系はみんなこんな手をしているのよ」と。

私の父は鋳物師でした。
体は大きくはありませんでしたが、
とても指が太く、大きな手をしていました。

私の手は小さくて父と比べものになりませんが、
年齢を重ねるにつれ、確かによく似てきて、少し嬉しいなと。

父の手が好きでしたから・・・。



少しも女らしくありませんが、
ごつごつした自分の手がとても誇らしく、
そしてとっても大好きです。