2014年3月11日火曜日

三年前の今日


今日は三年前と同じ場所で、
私は壁のペンキ塗りをしました。

あの日を思い出しながら・・・。


お天気のよい日でした。

母屋の裏の壁を建築中でしたので、
檀家さんも数人お手伝いに来て下さり、
みんなで談笑しながら鉄筋組みをしたり型枠をとりつけたり。

「もう少ししたらお茶にしようか」

そんなことを話していた時、誰かが、

「あ。地震だ」

ゆ~らゆ~らと長い横揺れが続きます。

千葉県北東部は地震の多い地域です。
少しくらいの地震は当たり前のように感じていましたが、
今回ばかりはなんだか様子が変です。
今までにないような長い横揺れ。

そのうち揺れが大きくなり、
「ギシッ!ギシギシッ!!」と母屋の大きくきしむ音が聞こえました。

私は生まれて初めて、家が倒壊するかもしれないという恐怖を感じました。

山の木々が大きく揺れ、
山全体がまるで大きな生き物のように思えました。

私は走り出して母屋の正面に来ました。

テレビで情報を得たかったことと、
こんな時でしたが、
小屋を開け放して自由に庭で遊べるようにしていた、
生後ひと月になったばかりの黒柴の赤ちゃんが気にかかったのです。

「あっ!」

私の目に飛び込んできたのは、
大きな灯篭がぐらっと揺れながら崩れるようにして倒れる瞬間でした。

母屋に入るとすでに停電。
テレビは前のめりに倒れていました。


そのあと草むらで震えていた子犬を母犬のところに寄せ、
あとはお堂の点検。

最初の地震ではほとんど落ちたり倒れたりしているものはありませんでしたが、
数十分後の余震のほうが大きかったようで、
香炉や燭台が倒れてしまいました。


携帯もしばらくすると使用不能となり、
まったく情報が得られなくなりました。

檀家さんのお宅でもガラスや食器などが割れて、
足の踏み場もなく、
寺院に逃げてこられた方が数名。

もう10年以上も前に、師匠から、
「何かあった時、電気が使えない時があるから、湯たんぽや電気を使わなくていい石油ストーブを買っておきなさい」と言われ、石油ストーブを三台。湯たんぽを15個くらい買ってありました。
湯たんぽにお湯を入れ(ガスはプロパンですので使用できました)、
近所のお年寄りに少しですが持っていきました。
 

居間にある二台のコタツの中に湯たんぽを入れ、
みんなで雑魚寝。

それでもひっきりなしの揺れと、
携帯のエリアメールの警報音でほとんどル事はできませんでした。


水道も電気も止まり、
ガソリンを買いにいけば長蛇の列。

ほとんどのお店は閉店状態。


しかし東北の方々の寒さひもじさ、そして辛さを思えば、
私達はまだまだ大変なうちに入らない。

でも、今までの生活が戻るまで、
「こんなにも不便なものなのか」とつくづく思いました。



当たり前だと思っていたことが当たり前でなくなった時、
私達は「とても大切なもの」に気づかされます。

しかし日が経つにつれ、それは脳裏の片隅に置いてしまい、
また「当たり前」のような生活を始めてしまうのです。




三年前もこんな青空だったなぁ・・・。


















4 件のコメント:

  1. 木蘭様
    こんにちは。なんだか鬱々として楽しめないしまふくろうでございます。
    季節の変わり目は、いつも精神に変調をきたし、内省的になります。

    昨日と打って変わって今日は雨。
    洗濯物も部屋干しです。このところ乾燥した日が続きましたから、
    ちょっとしたおしめりになりますね。

    さて「3.11」ですが、あの日は思い出すだに怖かったですね。
    次女はたまたま来日していた英国留学時の友人と原宿のカフェで
    お茶を飲んでいたのですが、その時に「グラグラグラ……」と大地震。

    次女は比較的平静だったようですが、地震の経験のない英国の
    女性はほとんどパニックになり、表に飛び出したそうです。

    ケータイもつながらなかったので、娘たちの安否が確認できず、
    結局、次女はその英国の女性が宿泊しているホテルに一晩
    泊まったそうです。親としては気が気ではありませんでした。

    一方、長女は築地にある会社から徒歩で帰宅。
    家に着いたのは深夜でした。

    「田舎者」さんから教えていただいた毎田周一の言葉にこんなのが
    あります。
    《なくなった人を悼むものも
    またなくなってゆく
    笑うものも 怒るものも
    やがて跡形もない》

    唯一の真理は無常、とも言っています。

    死ぬときには死んで、こせこせしない。
    そんなふうに悠々と生きられたら幸せでしょうね。

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    1. しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)

      心が沈んでいらっしゃるご様子・・・。
      大丈夫でしょうか。

      こちらは早朝まではとてもよいお天気だったので、
      「本当に大雨になるのかしら」などと思っていたら~今は大荒れになっています。(^_^;)

      あの日は東京も大変でしたものね。

      家族の安否確認ができないのは本当に心配・・・。

      親心はこ殊更に深いものです。
      できるならこうした心配はもう二度と経験したくないものですね。


      確かにこの世は無常です。
      いずれ「すべてなくなっていく」ものです。

      なくなっていくものに対し「執着心」を持つから苦しむ。
      だから無常を悟り、執着しないことと、お釈迦様は仰せです。

      今を生きる私達もいずれこの世から姿を消す時が参ります。

      家族のない私などすぐに忘れ去られてしまうことでしょう。

      でもこの世に生まれてきたのは、
      そんな私にも何かしらの役目があったからです。

      私には私にしか出来ない役目が、
      しまふくろうさまにはしまふくろうさまにしか出来ない役目があります。


      精一杯に生きて、
      「今生でのお役目が終わったようだから、また来世ね」って、
      「じゃ、お先~」って言って死にたいなと思っています。(*^^*)

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  2. 木蘭様
    ヒマなものでたびたびおじゃまします。
    おバカなしまふくろうでございます。

    娑婆にサヨナラするときは、どうか〝お先に〟行ってください。
    レディファーストですし、年上が先に逝かねばならぬという法も
    ありませんので(笑)、遠慮なくどうぞどうぞ。

    それに、ボクの弔辞は「感動を誘う」とやけに評判がいいんです。
    大好きな木蘭さんには、特別仕立ての弔辞を読んでさしあげますから、
    楽しみにしていてください。

    遠慮は無用です。どうかお先に向こう岸まで渡って、
    ボクの席をとっておいてください。
    そのうち、酒でもぶら下げてうかがいます。

    二人して蓮のうてなに座って盃を酌み交わす。
    サイコーですね。戒律もクソもありません。
    酒を飲みながら二人で将来?について語り合いましょう。

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  3. しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)

    何度でもお越し下さいませ。

    ・・・お茶ひとつ出ませんが・・・(笑)

    譲り合いの精神は~美しいものですね。(笑)


    「お先にどうぞ」
    「いえいえ、あなたからどうぞ」
    「そんなこといわずにあなたから」

    なんて、
    崖の上での譲り合いを見ているようです。(笑)


    ま、冗談はともかく、

    老少不定ですから、
    私のほうが先に逝くこともおおありです。

    ではお約束ですよ。
    私への弔辞はしまふくろうさまにお願い致します。m(__)m

    できたら生前に校正したいので、
    今度下書きをお願いします。(笑)


    三途の河を渡る時、
    なるべくなら今のうちに善根を積んで、
    濡れずにすむ「橋」を渡りたいものです。

    橋のたもとで、
    おつまみを用意してしまふくろうさまのおいでをお待ちしております。(笑)

    お酒は~好き嫌いがないのでなんでも大丈夫ですから。(笑)


    お酒を飲みながら、

    来世について語り合いましょうね。

    「今度もまた日本に生まれたいよね~」
    「またニアミス続きになるのかな~」とか。(笑)

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