2014年5月29日木曜日

心待ちにする日

昨日は師匠の義理の弟さんの御命日でした。

若干26歳という若さで心筋梗塞をおこし、
帰らぬ人となったのは、
もう33年も前のお話。

今年もお塔婆を書き、遺影とお位牌を置き。
そして故人がお好きだったというビールも。


とても働き者で、
親戚や近所の農家の手伝いを二つ返事で手伝ってくれていたそうです。

師匠は、
「いくら若いといったってそれでは体がもたないぞ」と、
再三にわたってお話していたそうですが。



この弟さんには一人の友人がいます。

ビールを持参し訪れては、
お線香を手向けて下さるのです。

33年という長い間。


兄弟も親戚も、
まったく訪れません。

たぶんこの弟さんのことすら忘れてしまっているのでしょう。

しかし友人の方はただの一度も彼の命日を忘れることはなかったのです。


私達は故人を忘れることなく訪れて下さるこの友人の方に、
心から尊敬の念を抱いています。

故人にとって、
思い出してくれる事はとても嬉しいこと。

弟さんは本当に素晴らしい友人を得ていたのだなぁと感銘を受けました。


きっと自分が死んでも、
こんなふうには思い出してくれる人はまずいないでしょう。


毎年、
この友人が訪れるのを
いつの間にか私達は心待ちにするようになりました。





2014年5月26日月曜日

主君と臣下

昨日、泉岳寺に行きましたが、
「赤穂義士」について知らない信徒さんもいたため、
前もってビデオ鑑賞をしました。


私はまだ「血槍無双」のほうは観ていません。(^_^;)
いつかこっそり観てみようかなと。(笑)

今回観たのは「赤穂浪士」。
東映時代劇黄金期のオールスターが勢ぞろい。

大石内蔵助ー片岡千恵蔵
浅野内匠頭ー大川橋蔵
吉良上野介ー月形龍之介

他、
市川右太衛門・中村錦之助・中村賀津雄・大河内伝次郎・松方弘樹・
里見浩太郎・東千代之介・丘さとみ・木暮実千代などなど。


40代の女性が映画を観ながらも、

「どっちが斬られるんだっけ?」

すると同世代の男性が、

「浅野内匠頭じゃないか?」

私はすかさず、「違うでしょーっ」(笑)



殿中で刀傷沙汰を起こしてしまった浅野内匠頭を取り調べる役人が、

「乱心したからであろう? の?」
と聞きます。

吉良殿から執拗な嫌がらせや辱めを受けていた事を知っていたから、
「乱心」ということでなんとか切腹をまぬがれさせたいと思ったのです。

しかし内匠頭は、その深い心を感じながらも、
「乱心ということでは、私の意趣が立ちませぬ」


なんとも切ないシーンでした。


「風さそう花よりもなほわれはまた
      春の名残りをいかにとやせん」

~風に吹かれ散り行く花も春を名残惜しく思うのであろうが、
       その花よりも名残惜しく思う私は、いったいどうすればいい~


これは浅野内匠頭の辞世の句です。

せめてあの時、吉良殿を斬り捨ててしまえたなら、
こんなに心が残らずにすんだのでしょうけれど・・・。



この日より1年と9ヶ月後、
大石内蔵助を始めとする四十七士は、
松坂町の吉良殿の邸に討ち入り、
見事主君の仇を討つことと相成ります。




泉岳寺には、
主君浅野内匠頭の大きなお墓のすぐわきに大石内蔵助のお墓。

そして赤穂義士たちのお墓が整然と並んでいます。

君臣が並んで葬られているのを見ながら、
なんだか心が温かくなってくる気が致しました。

切腹し、
体から離れた魂は、
全員がそろって主君のもとに参じたことでしょう。

そして主君は、
素晴らしい臣下を持ったと喜んだことでしょう。


映画を観ながら涙し、

そして昨日は泉岳寺で、
またまた目頭が熱くなってしまった木蘭でございました。









    









2014年5月25日日曜日

池上ー泉岳寺ースカイツリー

爽やかな風も、
次第に湿気をおびてくるようになりました。

今日は気温も上がり、
湿度の高い一日でしたね。

今日は年に一度の檀家さんたちとお出かけの日。

昨年は鎌倉でしたが、
今回は池上本門寺と泉岳寺。
そしてスカイツリー見学。

バスは予定の時間を5分遅れでお寺を出発。

17名を乗せ、
一路池上本門寺へ。


道路はとっても空いていました。

すいすい~すいすい~♪

9時前には池上本門寺に到着しました。

 
 
これは大堂。
日蓮大聖人の生御影尊が安置されています。
日蓮大聖人の七回忌にあたり、
十二中老のお一人、日法上人が掘られたものです。
 
右手に黒い毛の払子を持っておられますが、
これは日蓮大聖人のお母様の髪の毛です。
 
日蓮大聖人はとても御両親への思いが深く、
亡くなられたお母様の髪の毛を肌身離さず
持っておられたと言われています。
 


 
この朱色の建物は、
荼毘所あとに建てられた宝塔です。

 
この大坊本行寺で、
日蓮大聖人は臨終を迎えられました。
ここは池上宗仲という檀家さんの持仏堂があった所。
身延を下りられた日蓮大聖人は
ここで最後の二十数日間を過ごされました。
 
伺うためにこの寺院にお電話をしたところ、
 
「うちにくる方は、マニアックな方が多いんですよ~」
 
ですって。
 
 
臨終をお迎えになった場所ならば、
私達にとれば聖地も同然なのに・・・。
 

 
泉岳寺です。
浅野内匠頭ご夫妻と、
大石内蔵助始め四十七士が眠る場所。

 
 
 

 
 
最後はスカイツリー。
他から見上げると首が痛くなりますよ。(笑)

 
ガラス張りの床。
 

 
ここまで小さいと、
まるでジオラマ。(笑)
 
何がなんだかちっともわかりません。(^_^;)
 
 
 
檀家さんの中では、
あまりの高さに気分が悪くなってしまった人が三人ほど。
 
「リピーターがほとんどいないみたいですよ」と
檀家さんの一人から教えて頂きましたが、
 
「・・・そうかもしれない・・・」
と思った次第です。
 
 
 
少ししんどい一日でしたが、
でも楽しく過ごせました。(*^^*)
 
 
「来年はどこになるのかしら」
 
疲れているはずの檀家さんから、
そんな言葉がもれてくる。
 
 
いい一日だったんだなと、
ちょっと嬉しくなりました。
 
 
 
 

2014年5月8日木曜日

山々の緑が深まっていくなか、
竹林では竹の枯葉でいっぱいになっています。
この時季の竹林にはまだ新緑は見当たりません。

たけのこの成長のために親竹は栄養を与え続けているのでしょう。

ぐんぐん元気よく伸びていくたけのこ。
反対にくすんだ色になっていく親竹。

「子供を育てるってことはこういうことなんだなぁ」と、
親の大変さを竹から学んだような気が致します。

ちょっと切ない季節です。



先日、ひとつのお話を知りました。

「命のサイン帳」というお話です。

ある日、ディズニーランドのインフォメーションに一人の男性が気落ちした表情で現れました。
「どうなさいましたか」と係の方が伺いますと、
「実は子供がサイン帳を落としてしまいまして・・・。子供が一人一人のキャラクターからサインしてもらったものだったのです。懸命に探しましたがと゛うしても見つかりません。もしやここに届けられていないかと思い来たのです」
男性はそう話しました。

あいにくそうした落し物は届けられておらず、
係の方がそのサイン帳の特徴や、いつまで滞在されるかを聞き、
「御帰りになる前に、もう一度ここにお立ち寄りください。こちらでも探してみますので」

男性が帰ったあと、係の人はあちらこちらに電話をしたり、
自分でも探しに行ったりしましたがどうしても見つかりません。

そこで同じサイン帳を購入し、すべてのキャラクターからサインをもらう事にしたのです。


男性が約束の日にインフォメーションにやってきました。

係の人は、
「園内をすべて探したのですがどうしても見つける事ができませんでした。
ですのでどうぞこれをお持ち帰りください」
そういってすべてのキャラクターのサインが書かれたサイン帳を手渡しました。

男性は何度も何度もお礼を言い、心から感謝しながら帰っていったのです。



後日、一通の手紙がインフォメーション宛に届きました。

それは過日、サイン帳を無くした子供の父親からでした。

「先日は本当にありがとうございました。
実は私の子供は脳腫瘍に侵されており、もう長くは生きられない体でした。
病気のためどこに遊びに行くこともできずにおりましたが、
子供は『お父さん。ディズニーランドに行きたいな。いつか連れて行ってね』と、何度も言っていたのです。
病気がよくなったらと思っていたのですが、ますます悪くなるばかりでした。
もしかしたら、もう何日の生きられないかもしれないという状態でしたが、
どうしても死ぬ前に連れて行ってやりたいと思い、ディズニーランドに行ったのです。
そしてその時にサイン帳を無くしてしまったのですが、
あなたのおかげで子供は大喜びしました。
『お父さん。楽しかったね。また行こうね』と。

そしてその数日後、
子供は息を引き取りました。

あなたが用意して下さったサイン帳を胸に抱いたまま、
安らかに永遠の眠りについたのです。

あなたのおかげです。
本当にありがとうございました」


係の方は崩れるようにして泣かれたとありました。



せっかくのサイン帳を無くしてしまった子供ために、
精一杯のことをされた係の方。

「ただ喜んで頂けたなら」という心におされての行動だったと思います。

それがこんなにも大切なものになるとは誰が想像しえたでしょう。


でももしかしたら、
どんな人の周りでもこんな大切なことが起こっているのかもしれません。

自分の何気ない一言が相手の人生の岐路を決めることになったかもしれないし、
自分の何気ない行動が相手にとって大きな喜びになったり、ひどい憎しみになったりしているかもしれない。


深く考えさせられるお話でした。



おとといの5月6日は、
小児癌で亡くなった男の子の9回目の命日でした。

「亡くなった子供の年を数える」と言いますが、

つい「生きていたらもう高校生だよね」なんてお話になってしまいます。


この時季はこの子の御両親と親竹が、
そして今回のお話が重なって見え、
とても切ない思いにかられます。