2014年8月24日日曜日

もったいないと思えない時代

昨日の夜あたりから、
少しずつ涼しくなってきた気が致します。

今夜も冷房つけずとも眠れそうです。
日中はまだまだ暑いですけれどもね。

 
 
 
夏期講習会が終わってもしばらく来客続きで、
今やっと落ちつきホッとしているところです。
 
 
でもやはり、
いろいろな世代の方々とお話するのはとても楽しいものです。
 
 
年齢の近い人達とは「昔話」に花が咲きます。(笑)
 
 
小学校の給食では「鯨の竜田揚げ」がよく出た事や、
 
コッペパンを油で揚げたものには「黄な粉がついていた」「いや、砂糖しかついてなかった」とか。(笑)
 
 
私の家には「家風呂」はなく、
一日おきに銭湯に行っていました。
毎日お風呂に入るようになるなんて、
当時は考えもしませんでした。
 
まして「家でお風呂が入れる」ようになるなんて。(笑)
 
 
洋服を買ってもらえるのは夏と年末の二回くらい。
当時洋服は高いものでしたから、
古くなった服は、必ずボタンやファスナーを綺麗にとってからウエスとして使っていました。
 
そのボタンたちは、他の洋服でとれて無くなってしまったボタンの代わりに、
ずいぶん活躍したものです。(笑)
 
 
今は食べる物も着る物もあまりにも安くて豊富になり、
「物を大切にする心」がどこかへ去ってしまったように思います。
 
新聞の広告紙の裏や、
前月分のカレンダーの裏を使ってお絵かきしたけれど、
今ではお風呂の焚きつけにさえしません。
 
「もったいないなぁ」といいながらも、
コピーしすぎた紙を屑籠に入れている自分がいます。
きっと、
心から「もったいない」と思えていないせいなのでしょう。
 
 
「物のなかった時代がよかったなぁ」と思っている私はへんでしょうか。(^▽^;)
 
 
 


6 件のコメント:

  1. 木蘭様

    おはようございます。
    自家製おやきを朝食に食べたしまふくろうでございます。

    ようやく涼しくなりましたね。
    おかげでぐっすり眠れました(いつも眠ってんだろ!)。

    さて夏期の講習会はいかがでしたか?
    2時間の講話、ぶじに終わりましたでしょうか。
    あいにくボクは拝聴できませんでしたが、
    いつかお会いしたら、ボクだけを相手に〝一席〟お願いいたします(落語かよ!)。

    物がなかった時代のほうがよかった、という木蘭さん。
    たしかにそういう一面はあるかと思います。

    ボクの家は事業が倒産してからずっと貧乏で、母は市内の魚屋さんで
    事務員をやっていました。借金取りも毎週顔を出して、そのお相手を
    つとめるのは幼いボクでした。

    着るものもお古ばかりで、セーターなんかほぐして、また編み機にかけていましたね。


    困苦欠乏が人を鍛える――ボクがよく引用する言葉ですが、
    あまりに貧しいと精神も貧しくなりますから、これも程度の問題です。

    昔の生活に比べれば、いまは極楽そのものです。
    過去をつい懐かしむのは、失われた時間への愛惜と、
    過去がいつも美しい衣裳をまとって懐古されるためだと思われます。

    なぜか? 自分の過去がどんなに悲惨なものであっても、
    そこに生きた自分の存在を無意味なものにしたくない、
    という意識が働くからではないでしょうか。

    元気だった頃の父と母にもう一度会いたいとは思いますが、
    あの給食の、何とも形容しがたいくらいにまずい脱脂粉乳は二度と飲みたくないですね。

    怖い顔した借金取りのおじさんとも会いたくない。
    父が金の心配のない生活を送れるようになったのは、
    晩年のわずかな期間だけ。
    もっと楽をさせてやりたかった――子どもたちはみなそう思っています。
    貧乏は人を鍛えるかもしれませんが、当人はけっこう辛いのです。

    物がなかった分を心が埋めていた――それが実体だったんじゃないか。
    思いやりの心がそこかしこにあふれていた時代。
    木蘭さんが懐かしむのは、みんなで支え合って生きたあの時代の空気なんじゃないですか?

    同じ時代の空気を吸った者だけが共感できるあんなこと、こんなこと。
    話はいつまでも尽きません。


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  2. しまふくろうさま、こんにちは。(*^^*)

    たぶん一席もうけなくとも、
    私の場合はふつうに会話しているだけで「落語」のようかもしれません。(笑)

    おかげさまで無事に終える事ができました。
    また来年、何を話そうかと今から思索中です。(^▽^;)



    そうですね。
    やはり貧乏にも程度があると私も思います。

    食べるのも事欠くような貧乏は本当につらいと思います。

    父が懸命に働いてくれたおかげで、
    私は食べられなくて辛い思いをしたということはありませんでした。

    四畳半と三畳のアパートの一室で家族6人で住んでいても、
    それは「普通」だと思っていましたし、
    来客があった時は一番下の私は押し入れで寝ましたが、
    逆に楽しく思えました。(^▽^;)

    ただ毎晩三畳の部屋で夫婦喧嘩がくりひろげられ、
    ふすま一枚で寝ていた私は怖くて悲しくて、
    布団をかぶって泣いていました。

    他の兄弟も同じ思いだったと思います。

    二番目の姉は心臓を患っており、
    その手術費用のために父は頑張って働いてたのですが、
    そのお金を母が使いこんでしまい、
    そういうことが原因での不仲だったということをだいぶ大きくなってから知らされました。

    母がどこで働いていたのか、幼い私には解りませんでしたが、
    ただ、母の化粧の匂いがとても嫌いでした。

    子供心に「母」ではなく「一人の女性」になる母が嫌だったからかなと今思います。


    母が家を出たのは私が9歳の時。
    兄弟たちは自分のことで手いっぱい。
    末っ子の私のことまで手が回りません。

    ということで私の家族はいつもバラバラで、
    支え合って生きたという感じではなかったように思います。(^▽^;)
    今も兄以外は音信不通です。(笑)

    私がなんとかまともに生きられたのは、
    小学五年生の時に「師匠」に出会えたおかげです。

    心から心配して下さったり、
    病気の時におかゆを運んで下さったり。

    病気の時でも人にたよらず、自分でなんとかしなければならないと思っていた私は、
    かえってとまどってしまいましたが。(笑)


    今は物があふれて心が貧しくなった時代。

    少し足りないなって思えるくらいが、
    もっと物を大事にしたり、人を思い遣ったりできるのではないかなと思います。

    当時を思い出し、
    ちょっと涙目になってしまったのでここいらでお話終わりに致します。(笑)

    いつもお勉強になるコメントをありがとうございます。

    しまふくろうさまは大変な思いを小さい頃からしていらっしゃるから、
    いつも相手を優しい心で見て下さるのだということが、
    本当によくわかりました。

    私はまだまだ中途半端ですね。(^▽^;)
    尼さんだけど~甘ちゃんです。(笑)






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  3. 木蘭様

    こんばんは。いま夕食を食べ終えたところ。
    ビールと赤ワインを飲んで、ホロ酔い気分です。

    さて初めて聞いたお話ですが、よくまあ頑張って生きてこられましたね。
    仏門に帰依した背景には、いろいろなことがあったんだろうなと想像されましたが、
    いまの笑顔の裏側には涙にぬれた木蘭さんの顔があるんですね。

    ボクが優しい人間だなんて、買いかぶりもいいとこです。
    何の取り柄もない、そして甲斐性もない、おまけにすぐに頭に血が上る、
    凶暴な男でしかありません。

    ボクは師匠の言うように「人生は死ぬ時までのヒマつぶし」をモットーに
    している男です。ボクのやることなすことはすべてただのヒマつぶしです。

    そのお相手を木蘭さんにつとめさせているのは、まことに心苦しいのですが、
    たぶん、ボクたち2人は似たもの同士ということもあるのでしょう。
    生き方が「長調」ではなく「短調」で、その曲調にそこはかとなく共感を抱いている。

    〝おもろうて、やがて哀しき鵜飼い舟〟というのは誰が言った言葉でしたっけ。
    チャプリンの映画がまさにこれでしたね。

    ボクもそんな人生が送りたい。
    一見長調に見えるけれど、実は短調――顔で笑って心で泣いて……

    いつの日か、木蘭さんのとっておきの〝一席〟を聴かせてください。

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  4. しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)
    今夜は法話の日。
    さきほど皆さま御帰りになりました。

    はい。
    初めてお話したと思います。(^▽^;)
    師匠にお会いしなかったら、
    私は「人間らしさ」が欠損していたに相違ありません。

    また当時の事があったからこそ、
    母に対する子供の心が少しばかり分かるようになりました。

    またこうしてしまふくろうさまともお会いすることもなかったことでしょう。
    ・・・あ、まだお会いしておりませんでしたね。(笑)

    「何の取り柄もない、そして甲斐性もない、おまけにすぐに頭に血が上る、
    凶暴な男」とは~どこのどなたさまでしょうか。(笑)

    とっても博識で、それでいて熱血漢。
    そして何より思いやりが感じられる。

    語彙の少ない私にとって、
    しまふくろうさまのブログやコメントは宝箱みたいです。(*^^*)

    乱雑で、人の心を大事にしない方であったら、
    私はアクセス禁止にしていたことでしょう~(笑)


    とっておきの一席ですか。


    ある中古住宅ののチラシ。

    「築5分。駅まで5年」

    どんだけ駅まで遠いんでしょう~(;´Д`)

    チャンチャン♪(笑)








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  5. 木蘭さま

    こんちは!

    嶋中さまと木蘭さまとのコメントのやり取りを読ませていただき母の言葉を思い出した百姓です。

    その言葉とは、大人になったら苦労するから、苦労は買ってでもするもんだ。

    今振り返ると子供を育てみての人間関係やお金のことなどがそれにあたるのではないかと思います。

    一人者で思いのままに働いたお金を料理やワインへと思いのままに使っていたころはまだ大人ではなかったように思うのです。

    日本各地で災害に合われた方々に比べれば間違いなしに幸せなものです。

    上を観ても下を観ても切りがありません。比較することはやめることができませんので、そこに執着しないようにここがげて行きたいと思います。

    受けなければならないものは人生にはあるもんですね。

    今年は季節の変わり目が早そうです。
    お身体をお大事になさってください。

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  6. 田舎者さま、こんばんは。(*^^*)

    大人になって思い出し、
    生きる糧にできる言葉を下さったなんて素敵なお母様ですね。

    私は一度、師匠に伺った事があります。
    「私は前世、どんな時代に生きたのでしょう」と。
    すると師匠は、
    「昭和の初めの頃じゃないか?お前さんは我慢強いから」
    そのように仰っていただいた事があります。

    自分では「我慢強い」と思っていませんでしたから、
    そのように言われるなんて思いもよりませんでした。

    たぶんコメントに書いたような環境がそうしてくれたのだと思います。


    田舎者さまのお若い頃、
    思いのままにお金を使われていたという事ですが、
    それはそれでよかったのではないでしょうか。(*^^*)

    ギャンブルや女性に入れ込んでいたわけではなく、
    お仕事で使う「舌」のためのお勉強だったのでしょう。
    ただでその道のお勉強はできないものでしょうから。

    たしかに「受けなければならないもの」が人生には「おてんこ盛り」です。

    それは他人が受けるものではなく、
    自分自身が乗り越えなければならないもの。
    人に代わってもらうわけにはいきません。

    だからどーんとぶつかって乗り越える事だけを考える。
    私はいつもそう思っています。(*^^*)


    田舎者さまも体調に気を付けてお過ごし下さいね。

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