2017年8月16日水曜日

覚えのない記憶

今日も雨。
そして非常に涼しい日が続いています。
長袖を羽織らないと肌寒いほどです。
でも来週はまた夏が戻ってくるとか。
涼しい日に慣れてしまうと、
30℃超えはかなりきつく感じてしまうことでしょう。
みなさまも寒暖差から体調を崩さないよう、
お気をつけて過ごして下さいね。


先日、寺院で檀家さん対象の、
毎年恒例「夏期講習会」が行われました。
もう41回目を数えます。
8月11日から14日まで、
仏教のほか、さまざまなお話をしたり聞いたりして学びます。
ずっとお勉強ばかりでもなく、
みんなで車に乗り合わせて博物館へ行ったり、
ほかの寺院の見学に行ったり。
あとは映画を観たりもします。

「氷雪の門」(樺太真岡の9人の乙女たちの話)
「プライド」(東条英機)
「海難」(トルコとの合作。エルトゥールル号の話)
など、今まで観ました。

今年は何にしようかとみんなで考えました。
最初は「杉原千畝」にしようかという話だったのですが、
いろいろと調べていくうちに観たくなった映画が出てきました。

「太平洋の奇跡~フォックスと呼ばれた男」という映画です。

サイパン島でたった47人で民間人を護りつつ、
数万のアメリカ兵を翻弄した「大場栄大尉」の話だということでした。
そして最後、どうにもならなくなった時、
玉砕する隊が多かったなか、
大場大尉はみんなを引き連れて投降しました。
その時、ずっとゲリラ戦だったためボロボロの隊服を着たままでしたが、
投降した時のこぎれいな身なり。
一糸乱れぬ隊列。
そしてアメリカ将校に自分の刀を渡す時の儀礼。

最後まできちんとした日本兵たちの姿に、
「こんな民族と自分たちは戦っていたのか」という気持ちが湧き上がっていたのではなかったでしょうか。

あらすじを見て観たくなった映画でしたが、
内容的には、少し物足りなさが・・・。

ただ、映画の内容とは別に、私は不思議な感覚にとらわれました。


私は小さい頃、
なぜかよく戦争の夢を見ました。
その夢の中の情景と今回の映画の一部の場面が重なっていたのです。

映画の中で日本人が収容されていた建物の周りには鉄線がはりめぐらされていました。
私は今まで「せいぜい2メーターくらいの鉄線の塀」だと考えていましたが、
2メーターどころの話ではなく、その倍以上はあろうかと思うような高い高い鉄線の塀。

それは夢の中に出てきたものとそっくりでした。

私はとても高い鉄線の塀の近くをなぜか地面に這いつくばりながら進んでいます。
塀の向こう側には私と同じように這いつくばりながら進んでいる沢山の女性、子供、老人の姿。
「なんで私はこっちに一人なんだろう」と思いながら、
みんな同じ方向に向かっていきます。

夜なのにみんなの顔が分かるくらい、進む方向の空が真っ赤なのです。
私達の進む先では爆弾が破裂し、建物や木々が焼けているようでした。



映画に話しを戻します。

砂浜に両国の兵隊の沢山の死骸が横たわっていました。
その場面も夢に出てきました。

夢の中で私は一人で小高い丘の上にいて、
真っ青な海と真っ白な砂浜を見下ろしています。
そこには海に足を向けて綺麗に2列に並んで横たわっているたくさんの兵隊さんたちの死体。
それが砂浜に延々と続いているのです。
つぎの瞬間、
私は砂浜を歩いていました。

悲しいとも辛いとも、
怖いとも気持ち悪いとも思うことなく、
美しい砂浜に綺麗に並んだ死体の間を通って、
どこまでもどこまでも歩いていく。
そんな夢でした。


私は昔、師匠にこんなことを聞いたことがあります。
「私は前世、どんな時代にいたのでしょうか」と。
すると師匠は、
「けっこう我慢強い人間だから、戦前戦中あたりじゃないか?」と答えました。

今回の映画を観て、
「本当にこの時代にいたかもしれない」という気持ちがとても強くなりました。
それもこの日本ではなく、
南国の島にいたのかもしれないと。


昨日は72回目の終戦の日。
今生では覚えのない記憶が呼び覚まされたのは、
もしかしたら何か理由があるのかもしれませんね。





2017年8月4日金曜日

ニュースを観ていて

真夏のような暑さが続いたかと思えば、
肌寒いほどの日もあったり。

それでも自然界はいつも通りに過ごそうとしています。

先日は、百日紅の花が咲き始めました。
ありんこたちは、一所懸命にエサ探し。
一枚の大きな羽だけが動いているので「なんだろう」と目を凝らしてみると、
小さなありんこが懸命に運んでいる真っ最中。
自分の体の何倍あるかわからないくらい大きなものでも、
彼らは運んでいる。

でも私もその姿に少しばかり心配してしまいます。

「・・・巣穴にはどうやって入れるのだろうか・・・」と。(笑)



みなさんご存じのことと思いますが、
昨日、築地場外で火災が発生してしまいました。
七棟焼けてしまいましたが、
けが人などがおられなかったのは不幸中の幸い。
懸命に消火作業にあたられた消防のみなさんも、本当にお疲れさまでした。

火元と言われている「ラーメン井上」。

実は私もその昔、食べに連れて行っていただいたお店でした。
その頃はご主人が一人でお店をきりもりしていて、
いつもいつも忙しいお店でしたが、
ご主人は疲れた様子も見せずに、笑顔でお客様に接していたことをよく覚えています。

作業台には細かく刻まれたカイワレ大根や長ネギがいつも山になっていて、
普通のラーメンなのにチャーシューが何枚も入っていて、びっくりしました。

それはもう35年以上も前のお話。
今はどのようなラーメンかはよくわかりませんが。


胸が痛くなる思いでニュースを観ていました。


近頃は、まことに胸の痛む事件や事故が多いですね。
そんなニュースを観ているとき、
事件や事故の内容ではなく、
非常に気になっていることがあります。

事件、事故の当事者が大変な思いをしているときに、
なぜ野次馬方は(失礼)平気でスマホで撮影などしているのかしら、と。
たしかにニュース番組で視聴者からの動画などがいち早く報じられ、
それによってよく理解できることなどはあります。
でも、報道局のテレビに映っている現場に居合わせた人々の多くが、
スマホで一所懸命に撮影している姿を観ていると、
なんだか胃がむかむかとしてしまいます。


よく師匠が、
「近くで火事などがあると、みんな飛んでいくよな。でもすぐ鎮火したりすると、
『なんだ、もう鎮火か』とか『ぼやだってよ。つまんねー』っていう人がいるんだ。
なんでぼやで良かったって言えないんだろうな。
自分の家が火事になっても、そんなこと言えるのだろうか」
そんなお話をします。

自分の家が火事になって、
のんきにスマホで撮影する人っているのでしょうか。

「自分がその人の立場だったら、どのように思うか」

相手の身になってもっともっと考えてほしいと、
思うばかりです。