2014年2月23日日曜日

歴史に気付かない人生はもったいない


少し暖かくなったかなと思えばまた寒くなる。

こんな日が何度か繰り返されながら、
季節は春へと向かっています。


今朝、
ようやくウグイスの声を聴きました。(*^^*)

まだまだへたっびで、

「ほっ、ほぺちょっ」

そんなふうにしか聴こえません。(笑)

でも「ああ。やっと春が来た」と思えるから不思議です。


先日、産経新聞を読んでいたら、

東京 浅間(せんげん)神社 「下練馬の富士塚」
という文字が目に飛び込んできました。

あれ?
と、記事を読んでいきますと、
あらま。(◎_◎)
私がよく通っていた商店街の一部ではありませんか。(≧▽≦)

懐かしいこと、懐かしいこと。

東武東上線の東武練馬駅を下車する「北町」という場所。

・・・北町といっても奉行所はなく、大岡越前もいません。(笑)

今は近くに大きなショッピングモールが出来てしまい、
商店街はすっかり寂しくなっているようですが、
当時は車どころか自転車が通る事も大変なほど、買い物客でにぎわっていました。

浅間神社の前もよく通っていました。
道をはさんで真ん前に、中学の先輩の実家の本屋さんもありましたから。


でも一度も足を踏み入れたことがありませんでした。(^_^;)


記事には「江戸時代の川越街道・下練馬宿があった。現在の同区内では唯一の宿場」
とありましたが、
まったく知らずに中学時代から26歳まで通っていました。
・・・ようは~この記事で初めて知ったわけです。(^_^;)


約330年前の北町聖観音坐像が旧川越街道(商店街のある道)にあると書いてあります。

・・・もしかしてあそこにあったアレ?(・・;)

社会人になってから毎日ように帰宅する時に通っていた道だったのに、
ちゃんと見たことなかったなぁ・・・。


読み進めていくと~

え?

よく通っていた道に、徳川綱吉御殿跡~?(◎_◎;)



知らなかったづくしの~通い慣れた道でした。(T_T)(笑)


しかしよくよく考えてみれば、
この日本は2600年以上も続いているのですから、
住む土地土地に、さまざまな歴史があって当然なのです。

それを知ろうともしないでただ生活するか、
それとも、
「どんな歴史がある場所なんだろう」と学びつつ生活するかで、

その人の人生が濃くも薄くもなるのかもしれません。


ああ・・・。
もったいないことをしたわ~。(T_T)(笑)











2014年2月13日木曜日

困った欠点

今日は少しばかり暖かな陽気でした。

ようやく紅梅が一輪だけ咲きました。(#^^#)

ほかのつぼみもどんどん大きくなって。
毎年のことながら、春が近づいてきていることはうれしいものです。

でも、また明日は雪の予報。
さらにこちらは比較的海に近い場所なので、
あさってあたりはまた大風が吹くかもしれないとのこと。

鶯の声が聴けるのは、
もう少し先になりそうです。



今朝のお勤めのときのこと。

私は少し考え事をしていました。

お堂に入り、灯明をつけ、お線香をたいて、
さてお経をあげましょうとリンをたたいた時、

「あ・・・。お厨子開けてなかった・・・」

私は昔から考え事をしてしまうと、
何かしら手落ちをしたり、周りの状態が見えなくなってしまうのです。(^^;)


もう何年前になりましょうか。
私用で父とともに名古屋からの帰り、東京駅に着いた時のことです。

のぞみでも一時間半かかるので、
新幹線の中で本を読んでいました。

その時は金美麗さんの本を読み、
「やっぱり日本人でよかったなぁ」と感銘を受けながら列車から降りました。

ホームのごみ箱でゴミを捨てながらも頭の中ではさきほどまで読んでいた本のことでいっぱい。

ゴミを捨ててふと右側に「手」が見えました。

「あれ?」
と思いながら「手」から「腕」、「肩」、そして「顔」へと目線をうつしていくと、
駅員さんということがわかりました。

しかし私のほうは見ておらず、まっすぐ前をむいたまま。

「え?なんだろう」
と思いながら、目線をさらにうつしていくと、
そこには私をじっと見ているひとりの男性がいました。

「え〜と誰だろう・・・。でも私、この人知っている・・・」
私もその男性をじっと見つめ・・・

そこではっと気づきました。

秋篠宮さまだったのです。

気づいた瞬間、
あわてて深いお辞儀をしました。


とっても恥ずかしいことをしてしまったと思いながらちらっと顔を上げたとき、
ご学友のおひとりでしょうか、
最後列にいらした女性が顔を真っ赤にして笑いをこらえていました。

どんなおかしいしぐさをしていたのでしょう~私は。(・_・;)

この困った欠点は、
きっと来世になっても治らないかもしれません。(笑)










2014年2月5日水曜日

幸せな一日のご報告


昨夜はこちらでも雪が降りました。

雪が舞う風景を見るのが好きで、
降り出すと、
「たくさん降れ~♪」と、飽きずに外を眺めていました。

すると一本の電話が。

「明日、身延山に行きましょう」

以前から身延山にある日蓮大聖人の御廟所(お墓)に参拝に行きませんか、とお誘いを受けていました。

しかし約束した日は雪予報の翌日。
凍結が予想されていましたので、無理だろうなぁと思っていたところでした。


「早く雪よ止んで」

・・・まったく人の心は変わりやすい。(笑)



今朝は檀家さんと四人で6時に出発。

心配していた道路の凍結はほとんどなく、
とりあえず釈迦堂というパーキングで休憩。

 
 
南アルプスと青空がとってもきれいでした。(*^▽^*)


そこから約一時間かけて身延山に到着。

節分が過ぎたばかりでしたので、
観光客はまばら。

でも私達にとってはとてもありがたいのです。

御廟所にくる人が少ないので、
ゆっくりとお経をあげることができるから。(^_^;)エヘッ


 
 

ゆっくりと心行くまでお経を唱えました・・・

・・・と言いたいとろですが、
今日の身延山はそうとう寒く、指先の感覚がなくなるほど。

時折吹いてくる北風に体がこわばるこわばる。(笑)

それでもなんとか報恩感謝の心を捧げることはできたと思います。


あとでゆば屋さんで伺ったところ、
今日はマイナス7℃になったよ~ですって。(>_<)

今日は一日気温があまり上がらず、
参拝していた時も氷点下だったようです。



それから一路「みたまの湯」という温泉へ。(笑)

ここは壮大な景色が露天風呂から見えるのです。

お風呂に入ったまま写真は撮れませんので、
帰る時に景色を少しだけ撮りました。(笑)

 
 
これは八ヶ岳と茅ヶ岳。
 
この左側には、
櫛形山、北岳(標高は日本で二番目に高いそうです)、鳳凰三山、
 
そして右側には、
金峰山と大菩薩峠が見られます。
 
 
中央高速に乗り、石川パーキングに寄っておいしいものを食べました。
 
 
 
くまさんカステラがのったソフトクリーム。(笑)
 
かなり寒かったけど、
とっても美味しかったです。(*^▽^*)
 
そして家に帰ると、
欲しかった本が届いていました。
 
 
 
幸せって、
つねになんでもないところに存在しています。
 
空が青いな。
綺麗だな。
ほっとするな。
おいしいな。
嬉しいな。
 
こんな言葉が心の中に、
ふんわりと形作られる時に。
 
 
幸せがいっぱいの一日でした。(*^^*)

 
 
 
 








 
 

2014年1月31日金曜日

パラオのお話


なんだかとってもあたたかな陽気が続いていますね。

ここ数日間で、
紅梅のつぼみが大きくなってきています。

明日から二月。
四日には「立春」を迎えます。

でもこの立春の頃にはまた寒波がやってくるらしいです。

寒暖の差が激しいので、
皆さま、どうぞ体調にお気をつけてお過ごし下さいませ。



つい先日、パラオ共和国のことを少しだけ知る機会がありました。

明治18年(1885)にスペインが支配しました。
明治32年(1899)にドイツに売却するまでの14年間で、
パラオの人口が約90%も減少してしまったそうです。

第一次世界大戦でドイツが敗け、
大正8年(1919)戦勝国となった日本が国連からパラオの統治をゆだねられることになりました。

スペインやドイツの統治は完全なる「植民地支配」でしたが、
日本の統治は違いました。
植民地として扱うものでは決してなく、
パラオの人達の学校や病院、道路の整備などをどんどん行ったそうです。


そして太平洋戦争ー。

昭和18年、米軍はパラオ・ペリリュー島を攻略する事を計画しました。

ペリリュー島には約900人の島民がおり、
日本兵ととても仲良く暮らしていました。

島民は米軍が攻めてきたら、日本軍と一緒に戦う決意をしていました。

そして中川洲男隊長のもとへ行き、
「我々も日本と一緒に戦う」と言いました。

しかし中川隊長は、
「帝国陸軍が貴様ら土人と一緒に戦えるか!」と怒鳴ったのです。

「友達のように仲良くしてくれていたと思っていたのに・・・。
結局日本軍は、我々を賤しく思っていたんだ」と、
みな裏切られた気持ちを隠せませんでした。


そして数日後、
日本軍の用意した船に島民は乗り込みました。

日本兵の姿は一人として見えません。
「誰も見送りにもこない・・・」

裏切られたという島民の思いを乗せたまま、船が岸を離れ始めると、

突然、中川隊長を始め、全ての日本兵たちが浜に並びました。

そして島民たちと一緒に唄った歌をみんなで歌いながら、
ちぎれるように手を振っていたのです。

その時に初めて、
「あの時の悲しい言葉は、自分たちを避難させるためのものだったんだ」ということが分かったそうです。


その後、米軍が上陸し、
約二か月半戦い抜きましたが、日本軍は玉砕してしまいました。


戦後は米国が統治しましたが、
パラオを独立運動を展開し、昭和59年にようやくパラオ共和国となりました。



パラオ共和国の国旗をご覧になったことがありますか。









青は海。黄色は月を現しているそうです。


「太陽(日本)」の光があるから「月(パラオ)は輝く事ができる」と、
また左に少しずらしてあるのは、日の丸と同じ位置では申し訳ないと、
日の丸に敬意を表しているから、ということです。


このお話を知り、
あらためて日本人として誇りに思い、
英霊に感謝を捧げたいと思います。














2014年1月9日木曜日

赤い花


今日はまだ明るいうちにお風呂に入りました。

うちのお風呂からは裏庭が見えます。
春夏秋冬、様々な姿を見せる木々。

今の季節、常緑樹の葉は少し色あせて見えます。
常緑樹だけではなく、
冬景色はなんともはっきりしない色合いになってしまうものなのです。

そんな中、
山茶花やツバキの花は、見事なほど美しい色合いで咲いています。

すべてがセピア色なのに、そこだけが鮮やかな「赤」。

「綺麗だな・・・」

いつものように何気なく眺めていた時、
ふと岩手の知り合いのおばあさんのことを思い出しました。

おばあさんは私の師匠の親戚筋にあたります。

沢内という、日本でも指折りの豪雪地帯に住んでいらっしゃいます。

どれだけ雪が多いかといいますと、
一昔前、学校に行く子供たちは電線をまたいで行ったそうです。

今はそこまで積もらなくなったそうですが。


数年前、植木屋さんをしているうちの檀家さんが、
「おばあさんちに何か植木を送ってあげたいんだけど、
どんなのがいい?」と電話で聞きました。

おばあさんは電話口でちょっと考えたあと、

「冬に咲く花がいい」と答えたそうです。

そこで「何色の花がいい?」と聞くと、すかさず、

「赤」

と答えたのです。

「冬、周りは雪で真っ白だから、白い花は嫌だ。
赤い花がいい」と。


千葉ではたまにしか雪は降りません。

それでもこの季節はすべてがセピア色に感じる。
その中で咲く赤い花は、とても美しく見えます。

真っ白な世界に身を置くおばあさんは、
冬にこちらに来た時、
「冬でも土が見えるんだね」とうらやましそうでした。


赤い花が咲く植木を送ってもらったおばあさんは、
冬になっての楽しみを得たようです。


おばあさん、お元気かな・・・

赤い花、今年も咲いているのかな・・・





2014年1月6日月曜日

永遠の0

今朝の冷え込みは厳しいものがありました。

お勤めの時は帽子をかぶるわけには参りませんので、
頭や耳が寒さでちぎれそうになります。

でも、雪駄で土の上を歩く時、
ざっくざっくと音がするのがなぜか好きなのです。

寒い朝、ほんのちょっとの私の楽しみ。(*^^*)


今年のお正月は例年になくゆるりとできました。

おとといは思いがけなく、お寺の人達が、
「映画に行きませんか」と声をかけて下さいました。

私は基本お留守番と自分で決めているところがあり、
みんなで買い物に行こうとか、今回のように映画に行こうとかのお話の時は、
「私が残るから行っておいで」と言うのが定番でした。

でも今回ばかりはみんなが、
私が行けるように気をまわして下さっていることが分かりましたので、
ありがたく同行させて頂いたのです。(*^^*)


成田まで行き、
「永遠の0」を観て参りました。

「自分が死ぬということは、
戦局にはたいして影響はないが、
自分の家族は不幸になってしまう。
だから自分は死にたくはない」

とても腕のいいゼロ戦のパイロットでしたが、
このように周りに言い続け、また烈しい空戦になると加わらない。

そのために仲間から「卑怯者」とか「臆病者」と言われ蔑まれてしまっていました。

最終的に特攻で亡くなるのですが、
途中途中に出てくる言葉には、とても深いものを感じられました。

「どんな状況であっても生き延びる努力をしろ。諦めるな」

「お前たちは生きて、日本のために働け」

「この戦争が終わったあとの日本は、いったいどうなっているのでしょうね」

「死ぬことが分かると、今までなんとも思っていなかった川の水の冷たさや鳥たちのさえずり、風の音。すべてがいとおしく思われます」

記憶する能力がかなり落ちていますので、
このセリフは正しくないかもしれませんが。(^_^;)



靖国神社に祀られている英霊の中で、こんな方がおられます。

特攻隊員を指導する教官が、
「お前たちだけを死なせない。俺も行く」と言って、特攻を志願しました。
しかし上官から、
「お前には妻子がいるから駄目だ」と却下されてしまったのです。

それを知った奥様は「自分たちがいるから夫は思うようにできない」と、
幼子を連れて入水自殺してしまったのです。

その教官は再度志願し散華されたそうです。


教官も奥様も上官も、
その深い思いはいかばかりだったことでしょう。



闘い亡くなられた方々に対し、
あらためて尊敬と感謝の気持ちが湧いてまいりました。

あの当時、辛く悲しい思いが沢山あった。
けれども「日本を護るため」という気持ちも同じくらいあった。

その方々に心から深く感謝し、
そして命がけで護って下さった日本を
今度は「今を生きる」私達が護るべきなんだと。


私も頑張ります。


















2014年1月3日金曜日

元旦


みなさま、
あけましておめでとうございます。(*^-^*)

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


当寺院では大晦日から新年にかけての読経があり、
そのあと檀信徒さんたちにおせちをふるまいますので、
皆さまが御帰りになったのが2時半頃。

私が床に着いたのは4時頃でした。(^_^;)

元旦は大晦日の夜に来られなかった人達のための読経があります。
本堂であげますが、
他にもお堂がありますので、
本堂であげる時間が来る前にお勤めしてきます。

お正月の顔で「いつもより多く回しております~」の染之助染太郎ではありませんが、

お正月はいつもより多くお経をあげることになります。(笑)


お経が終わると、今度は恒例のお餅つき。


これは三臼目のよもぎ餅。(*^-^*)

縁起物ですので、
私も張り切ってつきました。(`・ω・´)

5回くらいですが。(≧▽≦)



今年の元旦はとってもよいお天気でしたね。

寝不足でしたが、
真っ青な空をみあげると、
力がみなぎってくる感じがしました。

「今年も頑張るぞー!」


・・・ゆるゆるとね。(笑)