先月、久しぶりに一人ででかける機会がありました。
お寺は常にどなたかがおいでになるので、
自分がでかけるとなると、なかなかタイミングがあいません。
今回は数か月ぶりになるでしょうか、
久しぶりの「お一人様」でのおでかけでした。(笑)
バスで東京まで出て、あとは地下鉄で。
もうラッシュの時間は過ぎていましたので、
なんとか席に座りますと、
前に座っている人たちの姿が自然と目に入ります。
7、8人がけでしょうか。
その中の5人くらいは、みんなスマホをいじっています。
ホームでも多くの人たちがスマホを取り出していじっています。
久しぶりの都会ですので、
それがとても不思議な風景に感じられて仕方がありません。
「みんな、この風景が当たり前だと思っているのかな」
そんなことを一人考えていました。
また他の地下鉄に乗り換えた時は、
4人ほど、会社員らしき若者が乗ってきました。
「この前『了解しましたではだめ。承知しましたです』と言われたの。
これからLINEとかでも『~してください』と書かれたら『承知しました』にしなき
ゃいけないんですよ~」
そんな話が耳に入ってきました。
ほー。そうか。
と、私も納得。(笑)
スマホ見ているより、
人の会話を聞くのは面白い。
また、こうして「カゴ」から出してもらおっと、
と、ひそかに算段している私です。(笑)
2015年11月8日日曜日
雨
雨が降っています。
しとしと、ざぁざぁ、ぱらぱら。
朝からずっとこんな音をたてて。
雨の日はなんだか眠くなってきます。
朝目が覚めたとき、雨音がしていると、
また夢の世界に戻ってしまうことが少なくありません。
こんな日に外を見てみると、
鳥や虫たちの姿はほとんどありません。
「今日はもう立冬だから、そんなの見なくなってあたりまえ」
という方もおられましょうが、
・・・ま、それもありますが(笑)、
それでも春も夏も秋も、
雨の日の虫たちは葉っぱの裏で身を潜めていたり、
鳥たちは木々の枝にとまり、じっとしていたり。
それを見るたびに、
「雨の日は自然界の日曜日ではなかろうか」といつも思うのです。
雨の日はじっとしている。
それが自然界の姿であるならば、
雨音を聞いていると眠くなるという人間の状態も当たり前のような気がしてきます。
だって人間も自然界の一部なのですから。
昨日まで結構きつい外仕事だったで、
今日くらいはゆるりとしていましょう。
優しい雨音を聴きながら・・・。
しとしと、ざぁざぁ、ぱらぱら。
朝からずっとこんな音をたてて。
雨の日はなんだか眠くなってきます。
朝目が覚めたとき、雨音がしていると、
また夢の世界に戻ってしまうことが少なくありません。
こんな日に外を見てみると、
鳥や虫たちの姿はほとんどありません。
「今日はもう立冬だから、そんなの見なくなってあたりまえ」
という方もおられましょうが、
・・・ま、それもありますが(笑)、
それでも春も夏も秋も、
雨の日の虫たちは葉っぱの裏で身を潜めていたり、
鳥たちは木々の枝にとまり、じっとしていたり。
それを見るたびに、
「雨の日は自然界の日曜日ではなかろうか」といつも思うのです。
雨の日はじっとしている。
それが自然界の姿であるならば、
雨音を聞いていると眠くなるという人間の状態も当たり前のような気がしてきます。
だって人間も自然界の一部なのですから。
昨日まで結構きつい外仕事だったで、
今日くらいはゆるりとしていましょう。
優しい雨音を聴きながら・・・。
2015年9月7日月曜日
ホプコンで日の目を見なかった歌
お日様が雲の上に行ったきり、
なかなかお顔を見せてくれません。
洗濯物もすっきりと乾かず、
それでも少し涼しいのはうれしいです。
多忙を極めた八月が終わり、
すこしのんびりな九月を迎えました。
そして今日は住職夫妻がおでかけなので、
もっとのんびりな一日を過ごしています。(笑)
秋の気配を感じると、必ず思い出す歌があります。
「きんもくせいの頃」という歌。
きっとどなたもご存じない曲だと思います。
これは1986年第31回のアマチュア音楽コンクール、
私たちは「ポプコン」と呼んでいた「ヤマハポピュラーソングコンテスト」で
入賞したもののそれきりとなってしまった曲なのです。
このコンテストでグランプリをとりデビューしたのは、
NSP、中島みゆき、長渕剛、チャゲ&飛鳥、渡辺真知子、八神純子などなど、
そうそうたる方々。
名曲がたくさん生まれましたが、
入賞どまりで世に出られなくても、やっぱりいい曲はあるものです。
もう30年ほど前になりますが、
コッキーポップという深夜ラジオで、ポプコンの本選を流していました。
「きんもくせいの頃」もたまたまこのラジオを録音していたので、
「いい曲だなぁ」と何回も繰り返して聴きました。
そのカセットはもうなく、
何度も繰り返してなんとか記憶にとどまったものを頭の中からひっぱりだして、
歌ってみました。
https://www.youtube.com/watch?v=H5owqbRBUaA
※誰もいないから、思い切り歌っていたら、
家の犬が私の歌に反応してか吠えていました。(笑)
なかなかお顔を見せてくれません。
洗濯物もすっきりと乾かず、
それでも少し涼しいのはうれしいです。
多忙を極めた八月が終わり、
すこしのんびりな九月を迎えました。
そして今日は住職夫妻がおでかけなので、
もっとのんびりな一日を過ごしています。(笑)
秋の気配を感じると、必ず思い出す歌があります。
「きんもくせいの頃」という歌。
きっとどなたもご存じない曲だと思います。
これは1986年第31回のアマチュア音楽コンクール、
私たちは「ポプコン」と呼んでいた「ヤマハポピュラーソングコンテスト」で
入賞したもののそれきりとなってしまった曲なのです。
このコンテストでグランプリをとりデビューしたのは、
NSP、中島みゆき、長渕剛、チャゲ&飛鳥、渡辺真知子、八神純子などなど、
そうそうたる方々。
名曲がたくさん生まれましたが、
入賞どまりで世に出られなくても、やっぱりいい曲はあるものです。
もう30年ほど前になりますが、
コッキーポップという深夜ラジオで、ポプコンの本選を流していました。
「きんもくせいの頃」もたまたまこのラジオを録音していたので、
「いい曲だなぁ」と何回も繰り返して聴きました。
そのカセットはもうなく、
何度も繰り返してなんとか記憶にとどまったものを頭の中からひっぱりだして、
歌ってみました。
https://www.youtube.com/watch?v=H5owqbRBUaA
※誰もいないから、思い切り歌っていたら、
家の犬が私の歌に反応してか吠えていました。(笑)
2015年9月3日木曜日
仏前結婚式
涼しい毎日にやっと体が慣れてきたと思えば、
昨日はまたまた32℃。
山あり谷ありの気温差に、
体がどうしていいかわからないようです。
みなさん、体調にお気をつけてくださいね。
先月末、当寺院で結婚式が挙行されました。
お天気がとても心配でしたが、
なんとかもってくれてほっとひと安心。
檀信徒さんたちが駆けずり回りながらお手伝い。
新郎新婦やそのご親族がスポットをあびる一日ですが、
仏様は、
汗水たらして動いてくださった方々へ、
慈愛の目をやさしく注いでおられたことでしょう。
とにもかくにも無事に終了して~ただいま脱力中です。(笑)
今回初めて、ご親族の中に「外人さん」が。
新郎のいとこであるお嬢さんの婚約者ということで参加されていました。
見た目は日本人なのですが日系ではなく、
カナダ人だということでした。
流ちょうな日本語を話し、
漢字もある程度よくご存じでした。
でも「尼僧」を見るのは初めてだったそうで、
「女の人でもお坊さんになるのですか」と目を見開いて聞いてこられました。
お話を聞いていると、日本がとても大好きだということがわかります。
「いつか日本の国籍をとりたい。カナダでは二重国籍OKなんです」
日本国籍をとりたい理由のひとつに、
「戒名がほしいのです」
お塔婆に書かれる戒名がかっこいいと。(笑)
法衣姿も作務衣姿も気に入ったようで、
「イッツクール!」を連発。
帰り際に彼女を見ながら、
「ボク、仏前で結婚式したいです」とにこやかに言っていました。
今回で6回目の結婚式でしたが、
7回目は彼等かもしれませんね。(笑)
昨日はまたまた32℃。
山あり谷ありの気温差に、
体がどうしていいかわからないようです。
みなさん、体調にお気をつけてくださいね。
先月末、当寺院で結婚式が挙行されました。
お天気がとても心配でしたが、
なんとかもってくれてほっとひと安心。
檀信徒さんたちが駆けずり回りながらお手伝い。
新郎新婦やそのご親族がスポットをあびる一日ですが、
仏様は、
汗水たらして動いてくださった方々へ、
慈愛の目をやさしく注いでおられたことでしょう。
とにもかくにも無事に終了して~ただいま脱力中です。(笑)
今回初めて、ご親族の中に「外人さん」が。
新郎のいとこであるお嬢さんの婚約者ということで参加されていました。
見た目は日本人なのですが日系ではなく、
カナダ人だということでした。
流ちょうな日本語を話し、
漢字もある程度よくご存じでした。
でも「尼僧」を見るのは初めてだったそうで、
「女の人でもお坊さんになるのですか」と目を見開いて聞いてこられました。
お話を聞いていると、日本がとても大好きだということがわかります。
「いつか日本の国籍をとりたい。カナダでは二重国籍OKなんです」
日本国籍をとりたい理由のひとつに、
「戒名がほしいのです」
お塔婆に書かれる戒名がかっこいいと。(笑)
法衣姿も作務衣姿も気に入ったようで、
「イッツクール!」を連発。
帰り際に彼女を見ながら、
「ボク、仏前で結婚式したいです」とにこやかに言っていました。
今回で6回目の結婚式でしたが、
7回目は彼等かもしれませんね。(笑)
2015年8月18日火曜日
戦争へ行った父の話
父は昭和十七年二月、歩兵として福岡県門司より上海に向かいました。
上海から杭州に行ったそうですが、案外綺麗な町で、市民は商売に忙しそうであったそうです。
まだ初年兵であった父は、戦地で初めて学ぶものも多かったようです。
軍人勅諭の聖訓五箇条というのがあり、
それを短い時間内で暗記させられたと言っていました。
一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。
一、軍人は礼儀を正しくすべし。
一、軍人は武勇を尊ぶべし。
一、軍人は信義を重んずべし。
一、軍人は質素を旨とすべし。
軍規に違反すれば重い処罰があったそうです。
当時の日本兵の規律は世界一と聞いたことがあります。
農民や平民を装う便衣兵がいたので気が抜けなかったけれど、
一般市民をむやみやたらに殺戮することなどあり得ないと話していました。
敵兵との闘いのほか、
食料難による飢えやマラリヤ、赤痢、黄熱病などの病気、
そして現地での山蛭やサソリなどにな悩まされながら、
中国大陸を横断し、カンボジア、ラオスと約四年間歩き続けました。
ラオスのビンチャンでは、道や橋をかける作業を手伝ったそうです。
住民たちはとても親切で、関係はとても良好でした。
そこには約一週間の滞在でしたが、
飛行機もほとんど見かけることもなく、
戦争のさなかであることを忘れてしまうくらい平穏だったそうです。
滞在期間が終わり、川を下ってビルマの国境に行く指示があったのですが、
誰一人として口を開く者はいませんでした。
「みなこの部落から離れるのがつらく、後ろ髪引かれる思いであったからだ」と話していました。
出発という日、
部落の人たちが手に手に何かしらの道具を持って集まってきました。
どうするのかと思っていたところ、
彼らは「みんなで兵隊さんたちが乗るいかだを作る」というのです。
そしてまたたく間にいかだ船が出来上がり、
また住民たちがお別れにと、赤飯みたいなものや、蒸かした玉子に赤く色をつけたものを持ってきてくれました。
そして身振り手振りで、
「この戦争が終わったら、是非遊びにきてくれ」と父たちに伝えたそうです。
「この時は、感謝してもしきれないほど感動したよ。住所を聞いておけばよかったなぁ」と、しみじみ言っていました。
この時、すでに終戦を迎えていたのですが、
父たちはまだ知らず、
最終的にバンコクに結集せよとの指示でバンコクに行った時に
初めて日本が敗けたことを聞かされたといいます。
昭和21年3月頃のことでした。
約四年の間「いつ死ぬか」と毎日考えていた父たちは、
初めて「生きて帰る」ことを考えたといいます。
長い事、戦争の話をしなかった父ですが、
80歳を超えたころ、
師匠から「戦争の話をみんなに聞かせてあげなさい」といわれ、
ぽつぽつと話してくれたものです。
そんな父に師匠は、
「こうして戻ってきてくれた人たちが必死になって戦後日本の復興のために働いてくれたんだ。そして今がある。みんな、感謝しなきゃだめだぞ」と檀信徒さんたちに言って下さいました。
この言葉は父にとって何よりうれしかったのではないでしょうか。
上海から杭州に行ったそうですが、案外綺麗な町で、市民は商売に忙しそうであったそうです。
まだ初年兵であった父は、戦地で初めて学ぶものも多かったようです。
軍人勅諭の聖訓五箇条というのがあり、
それを短い時間内で暗記させられたと言っていました。
一、軍人は忠節を尽くすを本分とすべし。
一、軍人は礼儀を正しくすべし。
一、軍人は武勇を尊ぶべし。
一、軍人は信義を重んずべし。
一、軍人は質素を旨とすべし。
軍規に違反すれば重い処罰があったそうです。
当時の日本兵の規律は世界一と聞いたことがあります。
農民や平民を装う便衣兵がいたので気が抜けなかったけれど、
一般市民をむやみやたらに殺戮することなどあり得ないと話していました。
敵兵との闘いのほか、
食料難による飢えやマラリヤ、赤痢、黄熱病などの病気、
そして現地での山蛭やサソリなどにな悩まされながら、
中国大陸を横断し、カンボジア、ラオスと約四年間歩き続けました。
ラオスのビンチャンでは、道や橋をかける作業を手伝ったそうです。
住民たちはとても親切で、関係はとても良好でした。
そこには約一週間の滞在でしたが、
飛行機もほとんど見かけることもなく、
戦争のさなかであることを忘れてしまうくらい平穏だったそうです。
滞在期間が終わり、川を下ってビルマの国境に行く指示があったのですが、
誰一人として口を開く者はいませんでした。
「みなこの部落から離れるのがつらく、後ろ髪引かれる思いであったからだ」と話していました。
出発という日、
部落の人たちが手に手に何かしらの道具を持って集まってきました。
どうするのかと思っていたところ、
彼らは「みんなで兵隊さんたちが乗るいかだを作る」というのです。
そしてまたたく間にいかだ船が出来上がり、
また住民たちがお別れにと、赤飯みたいなものや、蒸かした玉子に赤く色をつけたものを持ってきてくれました。
そして身振り手振りで、
「この戦争が終わったら、是非遊びにきてくれ」と父たちに伝えたそうです。
「この時は、感謝してもしきれないほど感動したよ。住所を聞いておけばよかったなぁ」と、しみじみ言っていました。
この時、すでに終戦を迎えていたのですが、
父たちはまだ知らず、
最終的にバンコクに結集せよとの指示でバンコクに行った時に
初めて日本が敗けたことを聞かされたといいます。
昭和21年3月頃のことでした。
約四年の間「いつ死ぬか」と毎日考えていた父たちは、
初めて「生きて帰る」ことを考えたといいます。
長い事、戦争の話をしなかった父ですが、
80歳を超えたころ、
師匠から「戦争の話をみんなに聞かせてあげなさい」といわれ、
ぽつぽつと話してくれたものです。
そんな父に師匠は、
「こうして戻ってきてくれた人たちが必死になって戦後日本の復興のために働いてくれたんだ。そして今がある。みんな、感謝しなきゃだめだぞ」と檀信徒さんたちに言って下さいました。
この言葉は父にとって何よりうれしかったのではないでしょうか。
ライダイハン
お盆が過ぎると、
急に風が涼しくなってきたように感じます。
近所の農家ではすでに稲刈りが始まり、
「秋」らしい景色が見られるようになりました。
これから小さな秋を見つけながら過ごしていきたいと思います。
私が子供の頃、ベトナムでは戦争が続いていました。
急に風が涼しくなってきたように感じます。
近所の農家ではすでに稲刈りが始まり、
「秋」らしい景色が見られるようになりました。
これから小さな秋を見つけながら過ごしていきたいと思います。
私が子供の頃、ベトナムでは戦争が続いていました。
「ベトナムの独立と統一をめぐる戦争。1960年結成の南ベトナム解放民族戦線は,北ベトナムの支援のもとに,南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い,69年臨時革命政府を樹立。73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退,75年南ベトナム政府が崩壊,翌年に南北が統一された。」
(weblioより)
自分が生まれる前年から中学三年にいたるまでの間に続いていた戦争だったのに、
まったく無関心に近い状態であったと思います。
後に「枯葉剤」による奇形児が沢山生まれたことを知ったときはとてもショックでしたが、それでも「戦争」という概念がとても薄かったように思います。
「戦争」について考えることもなく青春時代を過ごしてきました。
自分たちには関係ないとさえ思っていたものです。
その悲惨さを知ろうともせずに・・・。
大東亜戦争については、皆さんのすでにご存じのことだと思うのでここでは書きません。
約15年続いたベトナム戦争で、ことに韓国軍によって何が行われたのか。
多くの人がしらなければならないと思います。
名護和行・真実
多くの婦女子、子供、老人が韓国軍によって惨殺されました。
その容赦のない殺戮の仕方はあまりにもむごいものです。
また多くの女性がレイプされ、
あるいはそのまま殺され、命が助かった人も、
のちに韓国兵の子供を生み、
それは「ライダイハン」と言われ、諸説がありますが一万人を超すとも言われています。
またベトナム女性は美人が多いため、
韓国軍の「慰安婦」とされていたとも言われています。
今でも性犯罪が世界一多いといわれる韓国。
日本の慰安婦についてしのごのいえる立場なのでしょうか。
当時、日本では慰安婦を募集し、
きちんと大金を払って働いてもらいました。
決して強制ではなかったし、
韓国の慰安婦については戦後もきちんと賠償金を払っています。
昔、石原莞爾に関する本を読みましたが、
石原将軍が満洲を離れる時にたくさんの人々が別れを惜しんで集まり、
その中に慰安婦の女性たちも来ていたそうです。
石原将軍は彼女たちひとりひとりの手を握り、
お礼を述べていたということが書いてあったと、うろ覚えですが記憶しています。
ライダイハンとして生まれた子供たちは、
「敵軍の子だ」と、ひと゛い迫害を受けたそうです。
子供には罪はありません。
悲しく悔しく、そして辛いお話ですね。
まったく無関心に近い状態であったと思います。
後に「枯葉剤」による奇形児が沢山生まれたことを知ったときはとてもショックでしたが、それでも「戦争」という概念がとても薄かったように思います。
「戦争」について考えることもなく青春時代を過ごしてきました。
自分たちには関係ないとさえ思っていたものです。
その悲惨さを知ろうともせずに・・・。
大東亜戦争については、皆さんのすでにご存じのことだと思うのでここでは書きません。
約15年続いたベトナム戦争で、ことに韓国軍によって何が行われたのか。
多くの人がしらなければならないと思います。
名護和行・真実
多くの婦女子、子供、老人が韓国軍によって惨殺されました。
その容赦のない殺戮の仕方はあまりにもむごいものです。
2015年7月9日木曜日
虫のお話
梅雨とはいえ、
こんなに降らなくてもいいんじゃないの?と言いたくなるぐらい雨がふりましたね。
また十数年ぶりのトリプル台風も来ているとか。
あまり歓迎したくないお客様です。(◎_◎;)
まだ梅雨に入ったばかりの頃、
母屋の壁面に一匹のヤンマが止まっていました。
その羽はセロファンのように透き通っていて、
なんと美しいこと。
まだ羽化したばかりのようでした。
まもなくまだ力のない羽を懸命に動かしながら飛んでいきました。
今の季節は境内の木々の選定などがありますので、
実にいろんな「虫」と遭遇致します。
蜂、毛虫、蛾などなど。
見た目は怖かったり気持ち悪かったりする虫ばかり。
近づくのも嫌だという人が多いものです。
ただ私の場合、
「刺すか刺さないか」「毒があるか無いか」
ということがとっても重要なので、
遭遇した知らない虫については、作業が終わってからネットで検索。
お風呂で汗を流してからお堂でお勤め。
夕飯を頂いたあとでのネット検索の時間になりますが、
「ご飯食べたあとで、こんな検索している人ってあまりないだろうなぁ」
などと独り言を言いながら、毛虫君たちの画像をスクロール。(笑)
するといろいろな事が分かりました。
スズメバチに二度めに刺されたら必ず病院へ、というのは結構知っている方が多いと思いますが、
「一度目にスズメバチに刺されたけど、二度目が足長蜂だから大丈夫」
ではないそうです。
足長蜂とスズメバチの毒は似ているので、やはり病院へは行ったほうがよいとのこと。
私は6月21日に足長蜂に刺されてしまったので、
今年いっぱいはとくに気を付けていようと心に誓いました。(^-^;
また境内でよく見かけた毒々しい毛虫君には毒性がなかったことが判明。
触ることはできませんが、
近くでみかけても恐れおののくことがなくなり、
スムーズに作業することができました。
今まで毛虫がいやしないかとびくびくしながらやっていましたから。(^-^;
春、夏になると増えるのが蜘蛛。
毎朝、必ずといっていいほど蜘蛛の巣に頭やら顔やらがひっかかります。(;´Д`)
ついた蜘蛛の巣を取りながら、
「ちょっと~。ここに作るのはやめて~」とぶつぶつ。
でもまた次の日、
同じような場所でひっかかっているんですけれどね。(笑)
「朝蜘蛛は縁起がいい」「夜蜘蛛は縁起が悪い」
なんて誰が言ったのでしょう。
同じ場所に巣を作っている蜘蛛にとっては迷惑千万なお話。
「朝からずっといるのにさ~夜になったら縁起が悪いって退治されちゃったよ」
なんて。
子供の頃、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んだせいでしょうか、
蜘蛛を退治することがとっても嫌で。
でも周りの人達はみんな平気。
小さな蜘蛛はティッシュでぽいっ。
大きな蜘蛛はハエ叩きでばしっ。
その姿を見つつ、
もしあの小説が蜘蛛てはなく、ゴキブリが題材だったとしたら、
私はゴキブリを退治しないで見逃すのだろうか…
自問自答してみました。
でもやっぱり、ゴキブリだけは退治しちゃうかも。(笑)
こんなに降らなくてもいいんじゃないの?と言いたくなるぐらい雨がふりましたね。
また十数年ぶりのトリプル台風も来ているとか。
あまり歓迎したくないお客様です。(◎_◎;)
まだ梅雨に入ったばかりの頃、
母屋の壁面に一匹のヤンマが止まっていました。
その羽はセロファンのように透き通っていて、
なんと美しいこと。
まもなくまだ力のない羽を懸命に動かしながら飛んでいきました。
今の季節は境内の木々の選定などがありますので、
実にいろんな「虫」と遭遇致します。
蜂、毛虫、蛾などなど。
見た目は怖かったり気持ち悪かったりする虫ばかり。
近づくのも嫌だという人が多いものです。
ただ私の場合、
「刺すか刺さないか」「毒があるか無いか」
ということがとっても重要なので、
遭遇した知らない虫については、作業が終わってからネットで検索。
お風呂で汗を流してからお堂でお勤め。
夕飯を頂いたあとでのネット検索の時間になりますが、
「ご飯食べたあとで、こんな検索している人ってあまりないだろうなぁ」
などと独り言を言いながら、毛虫君たちの画像をスクロール。(笑)
するといろいろな事が分かりました。
スズメバチに二度めに刺されたら必ず病院へ、というのは結構知っている方が多いと思いますが、
「一度目にスズメバチに刺されたけど、二度目が足長蜂だから大丈夫」
ではないそうです。
足長蜂とスズメバチの毒は似ているので、やはり病院へは行ったほうがよいとのこと。
私は6月21日に足長蜂に刺されてしまったので、
今年いっぱいはとくに気を付けていようと心に誓いました。(^-^;
また境内でよく見かけた毒々しい毛虫君には毒性がなかったことが判明。
触ることはできませんが、
近くでみかけても恐れおののくことがなくなり、
スムーズに作業することができました。
今まで毛虫がいやしないかとびくびくしながらやっていましたから。(^-^;
春、夏になると増えるのが蜘蛛。
毎朝、必ずといっていいほど蜘蛛の巣に頭やら顔やらがひっかかります。(;´Д`)
ついた蜘蛛の巣を取りながら、
「ちょっと~。ここに作るのはやめて~」とぶつぶつ。
でもまた次の日、
同じような場所でひっかかっているんですけれどね。(笑)
「朝蜘蛛は縁起がいい」「夜蜘蛛は縁起が悪い」
なんて誰が言ったのでしょう。
同じ場所に巣を作っている蜘蛛にとっては迷惑千万なお話。
「朝からずっといるのにさ~夜になったら縁起が悪いって退治されちゃったよ」
なんて。
子供の頃、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読んだせいでしょうか、
蜘蛛を退治することがとっても嫌で。
でも周りの人達はみんな平気。
小さな蜘蛛はティッシュでぽいっ。
大きな蜘蛛はハエ叩きでばしっ。
その姿を見つつ、
もしあの小説が蜘蛛てはなく、ゴキブリが題材だったとしたら、
私はゴキブリを退治しないで見逃すのだろうか…
自問自答してみました。
でもやっぱり、ゴキブリだけは退治しちゃうかも。(笑)
登録:
投稿 (Atom)