2015年8月18日火曜日

ライダイハン

お盆が過ぎると、
急に風が涼しくなってきたように感じます。
近所の農家ではすでに稲刈りが始まり、
「秋」らしい景色が見られるようになりました。

これから小さな秋を見つけながら過ごしていきたいと思います。



私が子供の頃、ベトナムでは戦争が続いていました。


「ベトナムの独立と統一をめぐる戦争。1960年結成の南ベトナム解放民族戦線は,北ベトナムの支援のもとに,南ベトナム軍およびこれを支援するアメリカ軍と戦い,69年臨時革命政府を樹立。73年和平協定が成立しアメリカ軍が撤退,75年南ベトナム政府が崩壊,翌年に南北が統一された。」
(weblioより) 
 
自分が生まれる前年から中学三年にいたるまでの間に続いていた戦争だったのに、
まったく無関心に近い状態であったと思います。

後に「枯葉剤」による奇形児が沢山生まれたことを知ったときはとてもショックでしたが、それでも「戦争」という概念がとても薄かったように思います。

「戦争」について考えることもなく青春時代を過ごしてきました。
自分たちには関係ないとさえ思っていたものです。
その悲惨さを知ろうともせずに・・・。


大東亜戦争については、皆さんのすでにご存じのことだと思うのでここでは書きません。

約15年続いたベトナム戦争で、ことに韓国軍によって何が行われたのか。
多くの人がしらなければならないと思います。

名護和行・真実


 多くの婦女子、子供、老人が韓国軍によって惨殺されました。
その容赦のない殺戮の仕方はあまりにもむごいものです。
 
また多くの女性がレイプされ、
あるいはそのまま殺され、命が助かった人も、
のちに韓国兵の子供を生み、
それは「ライダイハン」と言われ、諸説がありますが一万人を超すとも言われています。
またベトナム女性は美人が多いため、
韓国軍の「慰安婦」とされていたとも言われています。

今でも性犯罪が世界一多いといわれる韓国。
日本の慰安婦についてしのごのいえる立場なのでしょうか。

当時、日本では慰安婦を募集し、
きちんと大金を払って働いてもらいました。

決して強制ではなかったし、
韓国の慰安婦については戦後もきちんと賠償金を払っています。


昔、石原莞爾に関する本を読みましたが、
石原将軍が満洲を離れる時にたくさんの人々が別れを惜しんで集まり、
その中に慰安婦の女性たちも来ていたそうです。
石原将軍は彼女たちひとりひとりの手を握り、
お礼を述べていたということが書いてあったと、うろ覚えですが記憶しています。



ライダイハンとして生まれた子供たちは、
「敵軍の子だ」と、ひと゛い迫害を受けたそうです。

子供には罪はありません。
悲しく悔しく、そして辛いお話ですね。










 

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