2013年11月20日水曜日

ただの人

今日は住職夫妻がお留守なので、
私は「おひとりさま」を堪能中。(笑)

といっても洗濯、掃除、犬たちの世話から原稿書き。

そして今、お風呂の焚きつけー薪で焚いているのですーを終わりました。


先ほど、法衣にアイロンがけをしていたとき、
ふと、いろいろなことが心に浮かびました。

こういう法衣を着ると、お坊さんらしくてなんだか立派そうに見えるけれど、
法衣を脱げばただの人。

外出する時、少しばかりよさげな作務衣を着て出かけるけれど、
それを脱げばただの人。

檀信徒さんたちの前で偉そうに説法するけれど、
やっぱり自分はただの人。

「坊さんなんてちっとも偉くなんかないんだぞ。
業が深いから坊さんになるんだ」

いつも師匠がおっしゃる言葉。

慢心には気を付けて過ごしてはいるものの、
自分が気づかないところで慢心が出ているかもしれないなぁ・・・。


気をつけなきゃと、
少しだけ背筋が伸びた感じがしました。


あ。

お風呂の薪、見てこなきゃ。(笑)




4 件のコメント:

  1. 木蘭様
    おはようございます。ただのオヤジのしまふくろうでございます。

    青年の驕慢はしかたないとは思うけど、
    熟年の驕慢はちと恥ずかしい。

    ボクなんか驕慢が背広着て歩いてるような男ですから、
    今回のお話はちょっと耳が痛い。

    講演の仕事なんかで、壇上に立ったりすると、
    なんか偉そうな顔をして、「人間とは何か」なんてことを
    しゃべったりしますが、あれって、柄でもないからやめたほうがいいですね。

    人間って「先生」なんて呼ばれると、つい勘違いしてしまう。
    「その先生っていうのはやめていただけませんか?」
    ボクは主催者にいつもお願いします。

    木蘭さんと慢心とは無縁なような気がします。
    それはブログを読んでいれば分かります。
    いつだってとても謙虚です。

    でも、ときどき調子の強い言葉とか言いまわしが出てきます。
    それらはたいがい国を思う気持ちがあふれ、
    非業に斃れた戦士たちに想いを馳せた時などに現れます。
    あるいは平和ボケした日本人にカツを入れる時などにも現れます。

    ボクの琴線にふれるのはそんな時でしょうか。
    (信念のある人なんだなァ……)
    木蘭さんのことを、とても近しく思う時でもあります。

    薪風呂なんて懐かしい。
    こどもの頃、うちも薪のお風呂で、
    風呂焚きはボクの役割でした。

    鬼の居ぬ間に(笑)、
    「おひとりさま」を十二分に堪能してくださいね。

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    1. しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)

      「おひとりさま」は十二分に堪能致しました。
      またそんな機会がある事をひそかに楽しみにしています。(笑)

      ここのところ、
      朝、しまふくろうさまがうちにお越しになり、
      夜、私が返事を書くというパターンになっています。

      しまふくろうさまが朝型で、私が夜型になってしまったみたいですね。(笑)


      私みたいなものでも葬儀の時は「先生」と呼ばれます。
      葬儀屋さんはみなどんなお坊さんでもとりあえず「先生」と呼ぶのでしかたなくそのように呼ばれてはいますが、
      自分にそぐわない呼ばれ方は、非常に心地がよくありません。(-_-;)

      また斎場では、みなさんとは違う立派な椅子が出てきます。

      「こんな立派な椅子は要りません。みなさんと同じものにして下さい」とお願いすることも。


      しまふくろうさまは講演も依頼されるのですね。
      壇上に立ち、自信なさげでは聴く人も不安になりますから、
      偉そうでいっこう構わないと思います。

      時にははったりもお願いします。(笑)


      慢心は「人より自分は偉い」と思い上がることです。
      するとそれ以上自分を高めようとせず、
      人を馬鹿にするようになり、周りの意見などまったく耳を傾けなくなります。

      しまふくろうさまは、少しもそういうところがありません。

      驕慢なんかではありませんから、いつも堂々としていて下さい。(*^-^*)

      国を想い国のために闘い、あとに続くことを信じて亡くなった方々が現状をご覧になった時、どんな思いをされるか・・・。

      哀しい、悔しいなんて言葉だけでは現しきれないことでしょう。


      私一人の力はあまりにも小さなものですが、
      しまふくろうさまが同じ志ならば百人の力を得た思いです。


      気持ちは百人力ですが、
      私のペンはまだまだ「剣」より強くはなっていません。

      カッターナイフくらいには勝てるよう頑張ります。(笑)


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  2. 木蘭さま

    こんにちは!
    《ただの人》を読ませていただき“羨ましい”と感じた埼玉の田舎者です。

    自分自身にあてはめてみると、あっちこっちに引っ掛かっている毎日です。
    金銭欲、食欲、性欲、名誉欲、などなど一つが静かになると変わって
    欲を主張しはじめます。

    師(自分でそうだと想っているだけ)の教えに
    《ただより高い物は無い》 《ただ行う》などがありますが《ただ》を
    考えれば考える程に、迷いの迷路からぬけだせなくなります。
    そして、考えてみると《ただより高い物は無い》とは
    《ただ》が一番素晴らしい世界であるとも取れます。

    いつの日にか《ただの人》になれると信じつつ、これでは駄目ですね。
    ん~難しい。

    この辺で結びとさせていただきます。

    美しき人へ

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    1. 田舎者さま、こんばんは。(*^^*)

      コメントをありがとうございます。

      みなさん同じようにお過ごしですよ。
      様々な欲求にとらわれて生きている。

      私だって欲求がないわけではありません。

      一日の中で「お腹が空いた。何か食べたい」と何度か思いますし、
      夜になれば「眠たい」との欲求も出てきます。

      人はある程度の欲求がなければ生きていけません。
      性欲がこの世から無くなったら人類は亡んでしまいます。

      ただ、追い求め過ぎる欲求はよくありませんよということです。


      また私達は「うわべ」で自分が偉くなったような気がするし、
      人をブランド品を着ているから、お金があるからと「うわべ」だけで立派な人と判断することがあります。

      でも本当の人の価値とは、
      財産や名誉やブランド品などをすべて取り除いたところで判断せねばならないと思うのです。

      ん~、私
      も難しいですね~"(-""-)"(笑)

      でもお互いに頑張りましょう。(*^^*)


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