2014年8月11日月曜日

ペルリを呼んでこいっ

いすわっていた台風11号も、
ようやく日本から離れてくれました。

各地で被害がありましたが、
みなさんのところは大丈夫だったでしょうか。

台風一過のあとは猛暑が続きそうですね。
どうぞ体調に気を付けてお過ごし下さい。


今週はお盆休みになる方々も多いことと思います。
当寺院ではこの時季になりますと、
数日間かけて夏期講習会なるものが開催されます。

法話が中心となりますが、
そんなに堅苦しい形のものでもなく、
日本の歴史に触れるために見学会の時間がとってあったりもしています。

今までは、大原幽学が住んでいた場所や伊藤佐千夫の生家、
千葉市の加曾利貝塚、芝山の埴輪博物館などいろいろ。

今回は佐倉にある歴史博物館の予定です。


私の法話の時間は2時間ほど。

その中で何を話そうかと毎年のように悩みます。

今回は幕末から日清日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦の流れを説明して、何故大東亜戦争に入らざるを得なかったのかという事をお話したいと思いました。


満洲国を造った石原莞爾という有名な方がいます。

とても変わった人物で、
沢山の逸話を持っていらっしゃいます。

連隊長時代に「特命検閲」というものが行われたそうです。
軍隊の教育訓練などの状態を検閲するもので、
最も重大な行事であるといわれます。

その時2日間にわたり検閲を受けたそうですが、
演習の最終日、師団参謀が石原連隊長に状況を検閲使にも聞こえるように大声で伝えます。

「高地からの射撃が猛烈で、当連隊の前進は極めて困難であります」

すると石原連隊長は、
「よし、わかった」と答えると、全連隊将兵に対し大声で命令しました。

「連隊は全滅!連隊長も戦死!皆寝ろ!」

というなり真っ先にばったりと仰向けになり、
全連隊を休憩にうつらせたそうです。


こんなひょうきんな方だったそうです。


敗戦後東京裁判が行われた頃、
石原莞爾は膀胱がんで療養中でした。
逓信病院に入院中には、
連日各国の検事や将校が訪れて、
石原莞爾にいろいろ訊問をしたそうです。

アメリカの検事に「この戦争はどこまでさかのぼるか」と石原莞爾は聴きました。

すると「日本が大陸進行し始めたのは日清日露戦争の頃だから、そこまでさかのぼる」と答えると、

「そうか。ならばペルリを呼んでこいっ」と石原莞爾は言います。

「日本は鎖国していたのに貴国からペルリがやってきて大砲で脅して鎖国を解いたではないか。そのせいで日本は世界から自国を守るために進出を計らなければならなくなった。鎖国していたら台湾も満洲も不要であった。あの世からペルリを呼んでこいっ」


このお話を知り、
歴史をさかのぼらなければ、みんなに大東亜戦争を理解させる事はできないと思いました。


勉強不足と、2時間で足りるかしらという不安を抱えつつ、
頑張ってみます。




4 件のコメント:

  1. 木蘭様
    「法話」の中身はずいぶん多彩なんですね。
    ビックリまなこのしまふくろうでございます。

    今どきの大学生は教授の話に30分も耳を傾けていられない、とよく言われます。
    それなのに、木蘭さんの法話はなんと2時間!
    でも話す側の人間からすると、あっという間なんですよね。
    ボクも講演したりすると「時間が足りないよォ~!」といつも思います。

    さて、先の大戦に至るお話。興味津々であります。
    そこで僭越ながら木蘭さんにお願いしたいのは、
    あの戦争は「祖国防衛戦争だった」という事実であります。

    マッカーサーも自身が朝鮮戦争を戦ってみて、
    日本列島が置かれた地政学的な意味がよく分かったと言ってます。
    そして軍事小委員会の場において、あの戦争は「日本の自衛戦争だった」と証言しています。

    結果的に中国大陸や東南アジアを〝侵略〟してしまいましたが、
    そこまで日本を追いつめたのはアメリカであり、ABCD包囲網であります。
    窮鼠猫を噛む、が真実に近いのです。

    日本は負けましたが、日本のおかげで多くのアジアの国々が独立を果たしました。
    日本という国がなかったら、いまでも西洋の植民地だったかもしれないのです。

    戦争には光と影があります。
    靖國に眠る英霊たちの死は決して無駄ではなかった、
    と信者の方々に伝えていただければ幸いであります。

    出過ぎたコメントを、お許しくださいませ。


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    1. しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)

      「びっくりまなこ」
      まんまる目玉がかわいらしいかもですね。(笑)

      今回は約100年分のお話ですから、
      時間が足らないかもしれません。(笑)


      出過ぎたなど、とんでもありません。
      同じ思いを持っていらっしゃることが分かると、
      私も元気が出て参ります。

      みんなに「日本は自衛のための戦争だった。アジア独立のための戦争だった」ということがよく分かるようにお話したいと思います。

      名越二荒之助氏が書かれた本の中に、
      「世界から見た大東亜戦争」というのがあります。

      その中に
      《例えば、忠臣蔵の物語があります。この物語でも、いきなり吉良邸の討ち入りからはじめたらどうでしょうか。赤穂浪士は予告もせずに土足で吉良邸を「奇襲」し、すやすやと眠っている老人の首をはねたのですから「忠臣蔵」どころか、武士の風上にもおけぬ「狼藉蔵」になってしまいます。-中略ー大東亜戦争の場合もこれと同じことが言えます。真珠湾奇襲から描くのではなくて、三百数十年にわたって欧米諸国がアジアを植民地にした時代背景から入る必要があります》

      と書かれています。
      一部分だけでは本当の事はわかりませんものね。
      なのに現代は、
      一部分だけを見て、全体がそうだと思いこんでいる人が多いように思います。



      また「餓死しろ」と言わんばかりの経済封鎖。
      ここまでしめつけられたら、
      どんな小さな国でも矛をもって戦ったであろうと、
      パール判事はおっしゃいました。

      当時を知れは知るほど、
      日本人であることが誇りに思えるはずです。

      戦後の日本人が忘れてしまったものを
      少しずつでも取り戻せたら・・・

      そんな願いをもって法話をしたいと思います。


      しまふくろうさまの温かな心を
      靖国の英霊方はたいそうお喜びになっていらっしゃることでしょう。(*^^*)

      15日の正午は、
      それぞれの場所で一緒に黙祷しましょうね。




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  2. 木蘭さま

    おはようございます!

    皆さまと一緒に黙祷をさせていただきたいのでコメントをしている百姓です。

    伊藤左千夫さんの名前が出てきたので思い出した歌があります。

    さびしさの極みに立ちて天地に寄する命をつくづくと思ふ

    木蘭さま、法話をお聴きすることは出来ませんが今回のお話で日本人の素晴らしさの再発見が出来たと思います。

    木蘭さま、嶋中さまとの縁に感謝しています。

    お身体をお大事なさってください。

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    1. 田舎者さま、こんばんは。(*^^*)

      伊藤佐千夫の生家は、
      うちからそんなには遠くないのです。
      記念館がすぐわきにあり、
      当時の伊藤佐千夫やその家族の様子に触れることができます。

      日本人はもっともっと、
      自国の歴史について学ぶべきだと思います。
      自虐史観などではなく、
      「日本人ってこんなにも素晴らしい民族なんだ」と、
      誇りの持てる歴史を。

      八月十五日の正午、しまふくろうさまとともに黙祷し、
      みんなで英霊方に感謝の心を捧げましょうね。


      田舎者さまもあまりご無理をされませんように。
      お互い体調に気を付けて過ごしましょう。(*^^*)

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