2014年10月10日金曜日

最後の言葉


空一面を覆う雲の向こうに、
お月様がうすぼんやりと光っています。
 
明日はなんとかお天気になりそうですが、
またもや台風が控えている模様。
日曜日と月曜日は来客があるのですが、
台風対策もしないといけません。
明日からはまたせわしなくなりそうです。
 
 
私の師匠はいつも「坊主なんてろくなもんじゃない」と言っています。
私などもその一人ですが。(笑)
しかし昔は「高僧」と呼ばれる立派なお坊さんが存在していました。
 
そのおひとりに「中川日史上人(1886~1976年)」という方がおられました。
この方は幾冊か本を出していらっしゃいます。
その中で「いのちの四季(筑摩書房)」という本があり、
私のお気に入りの本の一つです。
 
その中の「最後の言葉」というお話をご紹介いたしましょう。
 
岡山中学2年生の時のこと。
寮生活をしていたある日の早朝「ハハキトク」の電報が届きました。電車に乗り、転がるようにして病院までたどりつきました。家族に様子を聞くと「急にバタッと倒れ、いろいろと手を尽くしたが高いびきをかいてこんこんと眠り続けている。医者は『脳溢血です。もう持ちますまい』と。しかし不思議とまだ持っているところをみると、あなたの帰りを待っているのでしょう。早く会ってあげて下さい」と病室にみちびかれました。中川少年は涙で出ない声をしぼりだすように「お母さん!お母さん!」と二度呼びました。するといびきがぱたっと止み、今まで何をしても反応のなかった母親が突然両目を開いたのです。中川少年は「お母さん。ご気分はどうです?」と尋ねたところ、母親は「あなたはどうですか」と聞かれたそうです。「私は・・・」といいいかけた時、またも母親は高いびきをかいて寝てしまい、ついにそのまま亡くなってしまいました。

「あなたはどうですか」との母親の最後の言葉がどうしても分からず、家族でいろいろと想像していたそうです。そして葬儀から数日後、その意味がようやく解けました。
中川少年の友人が倒れる数日前の母親と会話をしていました。
「息子は元気でやっていますか」との問いに「先日、風邪を引いたようだと言っていましたが、もう治って元気だと思います」と友人は答えたそうです。中川少年はこのことを聞き、「母のあの言葉は、この友人から聞いた私の風邪の事が強く心に残っていたので、目を開けて私だと気づいた時に『あなたはどうですか』という言葉となって出たに相違ない。人の子の母は、死んでゆくまぎわでさえも、わが身を忘れて愛し子のことがこれほどまでに気になるものか」と、母の慈愛のありがたさに涙が止まらなかったそうです。そして「亡くなった母の肉体は消え失せても母の慈愛の心は実在して、いつまでも私の上に注がれているに違いない。私の言行が正しいなら母の心はよろこび、よこしまだと嘆くであろう」と思ったと書かれてありました。

もし自分が中川少年の立場だったらと思うとき、母親の「あなたはどうですか」との言葉を深く考えず、それ以上の事を追究せずにいたかもしれません。
母親の死に泣き悲しんでも、母の慈愛に感涙するまでには至らなかったかもしれません。

一つ一つを深い心で受け止めていかなければ、何一つ自分のものにする事ができないということをこのお話から教えて頂いた気が致します。
 

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