2014年10月10日金曜日
甘酒のお話
もうひとつ、
「いのちの四季」の中のお話を紹介したいと思います。
中川上人がまだ所化小僧さんの頃、
一人で檀家の年回法要に行かれたそうです。
その時にその家のお婆さんが「まだ小僧さんだから甘酒がよかろう」と思い、
丹精込めて甘酒を作って下さいました。
しかし中川少年は甘酒が大嫌いで、匂いがするだけで気分が悪くなってしまうのです。
まだ自分の気持ちをオブラートに包んで表現する事もできない幼い頃のこと、
そのまま「甘酒は匂いを嗅いだだけでも気持ち悪くなってしまうのです」とお婆さんにそっけなく伝えると、お婆さんはなんとも悲しいお顔をされたのです。
中川上人は自責の念にかられ、
挨拶もそこそこに逃げるようにしてお寺まで戻ったそうです。
それからというもの、どうしてもそのお婆さんの悲しげな顔が忘れられず、
「これからさきも、こうしたことはいつどこで、また起きないも限らない。
そのつど、今日のような結果を招いたらどうしようか。
食べ物に好き嫌いがあるのはわがままだからだ。
まして私は坊さんだ。僧侶に飲食物の好き嫌いがあってはならない。
よし、ひとつ甘酒を飲む稽古をしよう」
と、甘酒を飲む練習を始められたのです。
その修行は十数年間続きました。
大学(東京帝国大学・現東京大学)を終えてお寺に戻った中川上人はお婆さんの家に行き「お婆さんにお願いがあります。甘酒をご馳走して下さいませんか」と言いました。
もう十数年も前の事です。お婆さんはすっかりその事を忘れていて怪訝そうな様子でしたが、中川上人が一部始終を語り、その時の心無い振る舞いをお詫びすると、お婆さんは両目に涙を浮かべながら心から喜んで甘酒をご馳走して下さったそうです。
このお話の中川上人の小僧さんの時の年齢を考えた時、
十歳前後だったはずです。
幼くとも「僧侶」としての自覚と純粋さが確立されていたことを思うと
私は自分自身が恥ずかしくなりました。
高僧と比べるほうが間違っているのかもしれませんが。(笑)
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はじめましてSteinと申します。我慢の大切さ継続の大切さを感じますね。
返信削除steinさま。ようこそ、初めまして。(*^^*)
削除コメントをありがとうございます。
本当に「我慢」と「継続する」ということは何より大切なものですね。
昔の方々からは、自らの経験を通してまことに大切なことを教えていただいているように思います。
またこのお話からは、
相手の気持ちを思いやることの大切さもよくよく学びました。
してくれることを当たり前と思わず、
同時に相手の気持ちを思える人間になっていきたいものですね。(^^)/
木蘭さん
返信削除お世話になります。継続する気力、千里の道も一歩からと言いますから。神君家康公が言うように「人生とは重き荷を背負いて遠き道を行くが如し」という事なのでしょうかね。
話は飛びますが、大東亜戦争で勇戦敢闘したアッツ、ペリリュー、マキン、硫黄島、沖縄の指揮官はみんな人格者でした。苦しい戦いを継続させる統率力には頭が下がります。逆に人格者じゃない指揮官ですと駄目でしたが。インパールなど。
steinさま、こんばんは。(^^)/
削除どんな道もずっと平坦であることはありません。
山があったり谷があったり、
ぬかるみがあったり、でこぼこ道でけつまずいて転んだり。
でもあきらめることなく進んでいくなら、
また穏やかな道に出会えます。
その時は、平坦な道のありがたさをかみしめることができましょう。
まさしく人生そのものですね。(*^^*)
戦前の日本の教育は、
ことに修身に力を入れていました。
大正10年生まれの父はよく、
「学校の勉強がよくできた子供でも、修身ができない子供は相手にされなかった」と言っていました。
人格形成を大切にしていた時代であったのだと思います。
大東亜戦争では、立派な人格を有した多くの方々が指揮官となっておられたことでしょう。
ただすべての人が同じ人間性をもっているわけではありませんので、
指揮官に向かない方もおられたかもしれませんね。(>_<)
大東亜戦争のお話に触れ、
また靖国神社に行きたくなってしまいました。(^^;
木蘭さん こんばんわ。
返信削除大東亜戦争の真の戦勝国は日本であったと言う動画ですがご参考までに。
http://www.youtube.com/watch?v=8Ri0oFQqL1E&index=37&list=UU7bH_qEFbfgWbq-Aqse5HMg
steinさま、こんばんは。(*^^*)
削除拝見してまいりました。
植民地解放のための闘いであったことー。
私も師匠より学んできたものと同じで、とてもうれしくなりました。(*^^*)
たくさんの人に知っていただきたい内容ですね。
ありがとうございました。(*^^*)