2014年5月8日木曜日

山々の緑が深まっていくなか、
竹林では竹の枯葉でいっぱいになっています。
この時季の竹林にはまだ新緑は見当たりません。

たけのこの成長のために親竹は栄養を与え続けているのでしょう。

ぐんぐん元気よく伸びていくたけのこ。
反対にくすんだ色になっていく親竹。

「子供を育てるってことはこういうことなんだなぁ」と、
親の大変さを竹から学んだような気が致します。

ちょっと切ない季節です。



先日、ひとつのお話を知りました。

「命のサイン帳」というお話です。

ある日、ディズニーランドのインフォメーションに一人の男性が気落ちした表情で現れました。
「どうなさいましたか」と係の方が伺いますと、
「実は子供がサイン帳を落としてしまいまして・・・。子供が一人一人のキャラクターからサインしてもらったものだったのです。懸命に探しましたがと゛うしても見つかりません。もしやここに届けられていないかと思い来たのです」
男性はそう話しました。

あいにくそうした落し物は届けられておらず、
係の方がそのサイン帳の特徴や、いつまで滞在されるかを聞き、
「御帰りになる前に、もう一度ここにお立ち寄りください。こちらでも探してみますので」

男性が帰ったあと、係の人はあちらこちらに電話をしたり、
自分でも探しに行ったりしましたがどうしても見つかりません。

そこで同じサイン帳を購入し、すべてのキャラクターからサインをもらう事にしたのです。


男性が約束の日にインフォメーションにやってきました。

係の人は、
「園内をすべて探したのですがどうしても見つける事ができませんでした。
ですのでどうぞこれをお持ち帰りください」
そういってすべてのキャラクターのサインが書かれたサイン帳を手渡しました。

男性は何度も何度もお礼を言い、心から感謝しながら帰っていったのです。



後日、一通の手紙がインフォメーション宛に届きました。

それは過日、サイン帳を無くした子供の父親からでした。

「先日は本当にありがとうございました。
実は私の子供は脳腫瘍に侵されており、もう長くは生きられない体でした。
病気のためどこに遊びに行くこともできずにおりましたが、
子供は『お父さん。ディズニーランドに行きたいな。いつか連れて行ってね』と、何度も言っていたのです。
病気がよくなったらと思っていたのですが、ますます悪くなるばかりでした。
もしかしたら、もう何日の生きられないかもしれないという状態でしたが、
どうしても死ぬ前に連れて行ってやりたいと思い、ディズニーランドに行ったのです。
そしてその時にサイン帳を無くしてしまったのですが、
あなたのおかげで子供は大喜びしました。
『お父さん。楽しかったね。また行こうね』と。

そしてその数日後、
子供は息を引き取りました。

あなたが用意して下さったサイン帳を胸に抱いたまま、
安らかに永遠の眠りについたのです。

あなたのおかげです。
本当にありがとうございました」


係の方は崩れるようにして泣かれたとありました。



せっかくのサイン帳を無くしてしまった子供ために、
精一杯のことをされた係の方。

「ただ喜んで頂けたなら」という心におされての行動だったと思います。

それがこんなにも大切なものになるとは誰が想像しえたでしょう。


でももしかしたら、
どんな人の周りでもこんな大切なことが起こっているのかもしれません。

自分の何気ない一言が相手の人生の岐路を決めることになったかもしれないし、
自分の何気ない行動が相手にとって大きな喜びになったり、ひどい憎しみになったりしているかもしれない。


深く考えさせられるお話でした。



おとといの5月6日は、
小児癌で亡くなった男の子の9回目の命日でした。

「亡くなった子供の年を数える」と言いますが、

つい「生きていたらもう高校生だよね」なんてお話になってしまいます。


この時季はこの子の御両親と親竹が、
そして今回のお話が重なって見え、
とても切ない思いにかられます。

















4 件のコメント:

  1. 木蘭様
    涙腺が弱くなったしまふくろうでございます。

    悲しくも切ないお話ですね。

    おっしゃるように、ふだんの何気ない行為がひとを喜ばせたり
    悲しませたりする。当人はそのことに気づいていない。
    ボクにも思い当たるフシがいっぱいあります。

    歌の文句じゃありませんが、
    《幸せになるために 誰もが生まれてきたんだよ》ですね。

    「生老病死」の桎梏からは逃れられませんが、
    せめて生きている間は幸せでいたいし、誰かを幸せにしてやりたい。

    S・モームは『思い煩うことはない、人生は無意味だ』
    と言いました。たしかにその一面はありますが、無意味ではあっても
    無価値とはいえない。

    ひとの喜ぶ顔を見るのは嬉しいものです。
    誰かを幸せにするため、誰かを護るための人生――。
    それが自分を幸せにする道でもあるんですね。

    悪行のかぎりを尽くした手前勝手な前半生でした。
    後半生は少しだけ真人間になって生きてゆきたいと思います。
    もっとも、そんなふうに思うのは素面の時だけですが……(笑)。



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    1. しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)

      はい。
      なんとも切なすぎて、
      何度読み返しても、涙がこぼれそうになるお話です。


      人が喜んでくれるって、
      本当にうれしいものですね。

      私はまだまだ人を幸せにまで導くことができていないと思います。


      小さな温もりが生まれるような、
      そんな一言がかけられる人間になりたいと思っています。

      真人間になって生きて行きたいー。

      そんなふうに思えるのはとっても素晴らしいことです。(*^^*)

      ・・・たまにだってかまやしませんから。(笑)

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  2. 木蘭様

    たびたびおじゃましてすみません。
    おバカなしまふくろうでございます。

    ボクみたいなひねくれ者が素直な気持ちを吐露するなんてことは、
    めったにありません。あるとしたら深酒して前後不覚に陥っているか、年老いて相当ヤキが回っているかのどっちかです。

    でも、なぜか木蘭さんの前では素直になってしまうのです。
    僧籍に入ったものと親身な話をするのは、ボクの友人の坊さん以外
    では木蘭さんだけです。

    お互い会ったことはありませんが、
    インターネットという〝文明の利器〟が2人を結びつけてくれました。

    ボクは言葉という符丁を使って生計を立てている人間ですから、
    言葉の裏に息づく生身に近い〝肌合い〟を感ずることができます。
    言葉はウソをつきません。すべてが出てしまいます。

    偽装してもプロの目はごまかせません。

    ボクは正直言って宗教家なんていう人種とは無縁だと思っていました。半分インチキ野郎(ゴメン)の棲息する世界だと思っていました。

    でも、木蘭さんがいる寺には様々な悩みを抱えた人や、
    信心深い檀家の人たちが引きも切らずに訪れる、という感じで、
    ボクは意外な感慨に打たれています。

    ボクは救いを求めてお寺に行ったこともなければ、
    行きたいとも思いません。そもそも坊主を信じていない(ゴメンナサイ)のですから、どだいあり得ない話なのです。

    でも木蘭さんと知り合ってから、
    世の中にはまっとうな坊さんもいるんだな、
    と少しは考えを改めようかな思っています。

    失礼の段、深くお詫びします。
    お互い、「小さな温もり」を生み出せるような人間になれたら
    嬉しいですね。

    本日はボクの中のジキル博士が発言しております(笑)。
    ハイド氏はすでに酔いつぶれ高鼾をかいております。



     

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  3. しまふくろうさま、こんにちは。(*^^*)

    今日は檀家さんたちとお堂のお掃除をしました。

    皆さん、せっかくの日曜日だから行きたいところもあるだろうし、
    また体を休めていたいと思うこともあるでしょう。

    そんな大切な時間を使ってのお掃除に、神仏がお喜びにならないはずがありません。

    ついでに私なんかも喜んでおりまする。(笑)


    しまふくろうさまの仰せのとおり、
    坊主なんかろくなもんじゃありません。
    坊主がいうのですから間違いありません。(笑)

    ただ私自身があまり他のお坊さんとの接点がないので、
    本当のところはよくわからないのですが、
    師匠のお話からや他の方々からのお話、
    そして自分自身のいい加減さなどを総合すると、
    やはり「ろくなものじゃないな」と。(笑)

    だからちっとも失礼なことなどではないので、
    どうぞお気になさらないで下さいね。(*^^*)


    「思想のない人と師を持たない人は根なし草になる」とは師匠の言葉。

    まだまだ弱々しいものですが、
    少しは根っこを張れているのかなと思います。

    「まっとう」だと思っていただけるならば、
    それは師匠のおかげです。

    尊敬できる師匠に出会えた私は、本当に幸せだと思っています。

    また信仰の世界から離れた時、
    大海を知らないカエルの時がままあります。

    「これが大海だよ」と教えて下さるのは、
    大空を自由に飛び回り沢山の物事をよく知っていらっしゃるしまふくろうさま。

    師匠以外に尊敬できる方にお会いでき、
    私はさらに幸せ者になりました。


    私はボキャブラリーが貧困なため、
    偽装できるような言葉を扱うことができないだけです。(笑)

    たまに日本語さえ間違えますが、(笑)
    どうぞ呆れることなくおつきあいくださいませ。

    ハイドさんにもよろしく。(笑)



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