2014年1月31日金曜日

パラオのお話


なんだかとってもあたたかな陽気が続いていますね。

ここ数日間で、
紅梅のつぼみが大きくなってきています。

明日から二月。
四日には「立春」を迎えます。

でもこの立春の頃にはまた寒波がやってくるらしいです。

寒暖の差が激しいので、
皆さま、どうぞ体調にお気をつけてお過ごし下さいませ。



つい先日、パラオ共和国のことを少しだけ知る機会がありました。

明治18年(1885)にスペインが支配しました。
明治32年(1899)にドイツに売却するまでの14年間で、
パラオの人口が約90%も減少してしまったそうです。

第一次世界大戦でドイツが敗け、
大正8年(1919)戦勝国となった日本が国連からパラオの統治をゆだねられることになりました。

スペインやドイツの統治は完全なる「植民地支配」でしたが、
日本の統治は違いました。
植民地として扱うものでは決してなく、
パラオの人達の学校や病院、道路の整備などをどんどん行ったそうです。


そして太平洋戦争ー。

昭和18年、米軍はパラオ・ペリリュー島を攻略する事を計画しました。

ペリリュー島には約900人の島民がおり、
日本兵ととても仲良く暮らしていました。

島民は米軍が攻めてきたら、日本軍と一緒に戦う決意をしていました。

そして中川洲男隊長のもとへ行き、
「我々も日本と一緒に戦う」と言いました。

しかし中川隊長は、
「帝国陸軍が貴様ら土人と一緒に戦えるか!」と怒鳴ったのです。

「友達のように仲良くしてくれていたと思っていたのに・・・。
結局日本軍は、我々を賤しく思っていたんだ」と、
みな裏切られた気持ちを隠せませんでした。


そして数日後、
日本軍の用意した船に島民は乗り込みました。

日本兵の姿は一人として見えません。
「誰も見送りにもこない・・・」

裏切られたという島民の思いを乗せたまま、船が岸を離れ始めると、

突然、中川隊長を始め、全ての日本兵たちが浜に並びました。

そして島民たちと一緒に唄った歌をみんなで歌いながら、
ちぎれるように手を振っていたのです。

その時に初めて、
「あの時の悲しい言葉は、自分たちを避難させるためのものだったんだ」ということが分かったそうです。


その後、米軍が上陸し、
約二か月半戦い抜きましたが、日本軍は玉砕してしまいました。


戦後は米国が統治しましたが、
パラオを独立運動を展開し、昭和59年にようやくパラオ共和国となりました。



パラオ共和国の国旗をご覧になったことがありますか。









青は海。黄色は月を現しているそうです。


「太陽(日本)」の光があるから「月(パラオ)は輝く事ができる」と、
また左に少しずらしてあるのは、日の丸と同じ位置では申し訳ないと、
日の丸に敬意を表しているから、ということです。


このお話を知り、
あらためて日本人として誇りに思い、
英霊に感謝を捧げたいと思います。














6 件のコメント:

  1. 木蘭さま

    こんにちは!

    埼玉県の田舎者です。

    『パラオのお話』を読ませていただきとても明るい心になしました。
    丁度今の時期、「陽だまりにいるような温かな気持ちよさ」と言う表現にな
    るのです。

    現代の日本人の大多数が忘れている日本の心、日本人が本来持っている人を思いやる心、そんな心の温かさを感じさせてくれる、そんな話です。

    何時の日にか、そんな温かな話を木蘭さんの講話でお聴きしたいものです。

    ありがとうございました。

    《ほどほどに》が口癖な田舎者でした。

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    1. 田舎者さま、こんばんは。(*^^*)

      このお話に出てくる中川隊長は、
      どんなに嬉しく、そしてどんなに辛かったことでしょう。

      自分が悪者になっても、
      島民すべてを助けたかった。

      命を懸けて「パラオの未来」を守り抜かれたのですね。

      なかなかできることではありません。


      こういうお話を沢山の日本人が知り、
      もっと日本人としての自信と誇りをもってほしいと願っています。


      こういうお話をしようとすると、
      鼻の奥がツンとしてしまい、自分が泣きそうになってしまいますぅ(^_^;)(笑)


      ほどほどは~とっても大切なことですよ。(*^^*)

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  2. 木蘭様
    とってもいいお話ですね。感激屋のしまふくろうでございます。

    大東亜戦争は功罪相半ばしております。
    わるいことばかり言う国もありますが、
    日本のおかげで独立できたと感謝している国もあります。
    むしろそちらのほうが多いのです。

    欧米の植民地主義は搾取に次ぐ搾取で苛烈ですからね。
    日本はパラオの例にもあるように、
    苛斂誅求とは対極にありました。

    それなのに欧米、特にアメリカは強国ニッポンの再現は絶対に
    阻止しようと、戦後、War Guilt Information Programという〝洗脳政策〟によって、日本人を骨抜きにしようと考え、実行しました。

    結果、日本人には骨の随まで〝自虐史観〟がしみこみ、
    アジア各国に必要以上に頭を下げてきたのです。

    『日本が戦ってくれて感謝しています』(井上和彦著)という本が
    あります。社会科の教材に使ってもらいたい本です。

    日本に敵愾心を燃やしているのは支那と韓国だけ。
    日本人には友人がいっぱいいます。

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    1. しまふくろうさま、こんばんは。(*^^*)

      このお話を知った時、私も大変感激致しました。

      当時アジアでは、
      日本とタイを除いてすべて欧米列強の植民地でした。

      しかし日本は小さな国ながら勇敢に戦った。
      そして植民地にされていた国々が独立することを促しました。

      中にはその国の独立のために共に戦い、
      亡くなられた日本兵も数多くおられましたね。

      ほとんどのアジア諸国では、
      日本に感謝の念をもっているのに、

      「いえいえ、私達は皆様方にご迷惑をおかけし・・」なんて、
      祖国のみならずアジア諸国のために戦い、亡くなられた英霊方に申し訳ないと思わないのでしょうか。

      「日本は悪い国」だと教えることは、
      戦い散っていかれた方々を「悪者」にしている事と同じです。

      感謝こそすれ、悪者扱いするなんて言語道断です。
        


      『日本が戦ってくれて感謝しています』の本は、
      とても素晴らしいと伺いました。

      『コーヒーの方程式』と一緒に、アマゾンで購入しようと思っています。(笑)

      戦後の愚民政策によって「愚かな民」となり下がってしまった日本人。

      でも徐々に「日本人としての自信」を取り戻しつつあるのはとても喜ばしいことです。(*^^*)

      労体と老体で、お互い頑張りましょう~(笑)









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  3. はじめまして。突然のレス、失礼いたします。

    以前のブログの昨年6月3日のエントリーで、八田泰一先生のことを書かれているのを拝見しました。私は貴方様より10才ぐらい下で、中学時代に吹奏楽をやっていて、学校に八田先生が指導に来てくださいました。ふと思い出し検索したところたどり着きましたが、とても懐かしく胸がいっぱいになりました。恐怖のチューニング!(笑) そうでしたね。まさに恐怖におののいていました。
    プリンがお好きだった八田先生。懐かしいお顔も拝見できてうれしかったので、コメントを残させていただきました。

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    1. 匿名さま、ようこそおいで下さいました。(*^^*)

      わざわざこちらのブログまで飛んできて下さり、
      ありがとうございます。

      あらまぁ。
      八田先生をご存じとは嬉しい。(*^^*)

      誰よりも優しい物腰なのに、
      チューニングだけは誰よりも怖かったですよね。(^_^;)

      いまはただ楽しく懐かしい思い出ばかり。

      八田先生に出会えて、
      私達は本当に幸せ者ですね。

      先生も、
      こんなふうに自分を思い出してくれる匿名さまのお気持ちを
      本当に嬉しく感じていらっしゃると思います。

      きっと、いつものように口に手をあてながら、
      恥ずかしそうに、
      「ありがとう・・・」っておっしゃっているのではないかしら。


      また八田先生のお話したくなったら、
      いつでもお越し下さいませ。(*^^*)


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